2014/06/06

中海の話

皆さんは中海という海をご存知だろうか?
島根県と鳥取県の間に位置する汽水湖である。



今から7000年前の縄文時代の海進(地球の気候が暖かくなり氷が溶けて海水面が上昇したこと)により、古中海湾が形成された。
その後、斐伊川が宍道湖に流れこむようになり、宍道湖湾の入り口が塞がると宍道湖の水が中海に流れるようになった。

そして2400年前になると、砂の堆積と海水面の低下により古中海湾の入り口に弓ヶ浜が出現し、中海が形成されたわけだ。
この弓ヶ浜出現は神話にも登場し、そこれこそ『出雲風土記』でも有名な国引き神話である。

昔々、出雲の創造神、八束水臣津野命は出雲の国を見渡して「この国は、細長い布のように小さい国だ。
どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とお思いになりました。

そこで、どこかに余分な土地はないかと海の向こうを眺めると、朝鮮半島の新羅(しらぎ)という国に余った土地がありました。ミコトは、幅の広い大きな鋤(すき)を使い、大きな魚を突き刺すように、ぐさりと土地に打ち込み、その魚の身を裂いて切り分けるように土地を掘り起こし、切り離しました。

そして三つ編みにした丈夫な綱をかけて、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら力一杯引っ張ると、その土地は川船がそろりそろりと動くようにゆっくりと動いてきて出雲の国にくっつきました。

こうして合わさった国は、杵築(きづき)のみさき【出雲市小津町から日御碕まで】になりました。
その時、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山【さひめやま、現在の三瓶山(さんべさん)】で、その綱は薗の長浜になりました。

その後も、ミコトは北の方の国から同じように狭田(さだ)の国【小津から東の鹿島町佐陀まで】と、闇見(くらみ)の国【松江市島根町のあたり】を引っ張ってきてつなぎ、最後に北陸地方の高志(こし)の国から引っ張ってきた国が三穂の埼【松江市美保関町のあたり】になりました。

この時、ミコトが引っ張った綱をかけた杭は伯耆の国の火の神岳【ひのかみたけ、現在の大山(だいせん)】で、持って引っ張った綱は夜見の島(弓ヶ浜)になりました。

そしてミコトは「国を引くのが終わった」とおっしゃって、杖をおつきになって「おえ。」と言われたので、その地を意宇というようになりました。





というわけである。
つまり、現在の島根半島は朝鮮半島の余った土地というわけだ。
なんともスケールの大きな話だ。

ここで山陰の地理がいまいちピンと来ない人のために地図をお見せしよう。



こんな感じである。
要は島根県の左右の火山「三瓶山」と「大山」に綱を巻きつけ、海の向こうから陸を引っ張って島根半島を作ったというわけだ。
そしてその時の綱が最後に「稲佐の浜」と「弓ヶ浜」になったわけ。

皆さんはこの国引き神話知っていただろうか?
私は恐らくこの山陰で暮らさなかったら知るのはもうちょっと後になったかもしれない。

しかしこの国引き神話。
どうせ神話なんて空想上の物語、ただのフィクションなのだろうか?
実はこの国引き神話はあながちフィクションと言いがたい部分がある。



こちらが島根半島の成り立ちなのだが、実は5000、6000年前には島根半島は本土と切り離されていたのだ。
そして先に書いたが縄文海進及び砂の供給により次第に本土とつながっていき東西の浜も発達していった。
これこそまさに国引き神話そのものではないか。

人類がまだ石器で獲物を追っていた時代、そんな時代からの地形の変動を神話は物語っている。
恐らく文字なんてものはなかった頃からの言い伝え。
人から人へ、親から子への伝聞によって伝わったことが神話に採用されたのだろうか?
こうやって見るとより神話という存在が身近に、そしてとてもワクワクさせられる存在だと気付かされるのだ。
大学時代はそんな日本書紀、出雲風土記などの神話にまつわる土地もちょくちょく回っていた。

さてさて前置きが長くなった。
中海についてはもう結構ご理解いただけたことだろうと思う。
そんな中海での実習を大学4年間で3度ほど私は体験した。

小さなボートに乗って日本で5番目に大きな湖へと繰り出す。




波は高い時もあり穏やかな時もあり。
こうやって船の先から水面を覗きこむと吸い込まれそうになる。



ちなみに中海の真ん中にはこんな感じの研究用の施設がある。
ここで色々な実験とかをしてるらしいが、残念ながら私は中まで入ったことはない。

我々がしたのはもっぱら泥すくいである。



中海の海底はこのようなヘドロが堆積している。
ガパッと開く採泥器を海底に落とし、後でおもりを落とすことで採泥器を閉めその後紐を引っ張って甲板に引き上げる。

場所によっては硫黄臭い臭いが船上に漂い、船酔いしてる人にとっては地獄だ。
とはいえこれも大切な調査である。
しっかり確認しなくては。



しかし、中海側から陸地を眺める機会なんてそうそうないと思う。
私自身プライベートで船で海へ出たことなんてあまりないし。
アレが有名(?)なかなりの斜度がある中海大橋である。



中海最初の実習は1年の夏休みにあった。
ほんとは1年は受けれない授業なのだが、教授に交渉に言って特別に参加させて貰えることになったのだ。
人数も少なかったし、3年以降で受けても忙しくて受けれないかもしれない。

あの頃は結構色んな教養授業を受けに行ったなぁ。


2泊3日の実習。
夕暮れの散歩。

何から何まで懐かしい。

しかしこうして見るとやっぱRICOH R8は景色を撮るのが苦手だなぁ。
細部が甘いし色味もイマイチだ。
それでもその頃はいつも持ち歩いてたお気に入りのカメラだった。
ほぼ3年間使い潰したが今でも全然使える。
家においていても使わないし職場にでも持って行こうかしら。

という訳で今回は中海の実習の話。
皆さんも機会があったら出雲風土記を読んで貰いたい。


ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

1 件のコメント:

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    記事、楽しく読みましたよ♪
    文章の書き方がとても参考になります!!
    私も更新頑張ります!!

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