この1年で私はどれだけの引越しを繰り返しただろうか。
4年間住んだ土地から一度実家に帰り、そして新たな土地での生活が始まった。
その場所も長く住むこともなく、半年ほどで別の場所へ移ることとなる。
そして今年の3月には新居をかまえ、さあこれからだというところでまた実家に帰ってきたわけだ。
周りの人にそんな話をするとそりゃ大変な1年だったねぇと同情を漏らすわけだが、当人としてはもうどうにでもなれという諦めというか、割り切る気持ちが先に出て次をどうするかを考えるわけで、今思い返してもそう辛い日々ではなかったのだが、無駄に浪費してしまった感は否めない。
とは言えこの1年で無駄なものを買ったということはあまりないと思う。
どうせ、すぐに別の場所に移るという気持ちでいたので物を増やすことをあまりしなかったためだ。
だから最後の新居で一人暮らしに必要な家電とか家具以外に荷物はほんの僅かばかりだったので引越すときもらくだった。
そして昨日荷物が実家に届き、やっと今日自分の部屋が片付けられたわけだ。
実家から出てから自分の部屋に住むことになって数年ぶりとなるわけだが、幾度かの整理をしたあとなので昔に比べると自分の荷物はうんと減っているはずである。
しかし、やはり今回の引越しのための荷物を入れるには改めて整理整頓をする必要があった。
掃除とはいいものだ。
身の回りに散らかっているものを片づけ整理するということは今の自分自身を整理し見つめなおすことにもなる。
私はあまり思い出を残す方ではない。
過去の記憶は良かったことも悪いこともどんどん忘れていく傾向がある。
ある意味、若年性アルツハイマーではないかと疑っているわけだが単に物忘れが酷いだけかもしれない。
ただ、言い方を変えれば今を確かに生きるために過去に囚われずただただ先を見て生活をしているとも言えよう。
ものは言いようである。
そんな感じで今回も部屋に残された過去の遺物をいくつも捨てることとなった。
先にも書いたが私は思い出はあまり残さないほうだ。
しかし、記憶を残さない代わりに形としてあるものは結構とっておくタイプでもある。
だから、小学校のイベントの冊子やら卒業記念の粗品やら昔友達にもらった旅行土産などはきちんと引き出しに収めてある。
そうやってその時の思い出は消えても、その時確かに自分がそこにいた軌跡だけでも残そうとしているのかは不明ではあるが、そういうものが私の部屋には確かにある。
いや、確かにあった。
そう、今回はそういうものも全部捨てようとゴミ箱片手に棚や引き出しを整理したのである。
そうやって今の自分に必要なものと必要でないものを分けていくというのは、今の自分を見つめ直すいい機会だ。
何度も何度も捨てずに取っておいたものをこの機会に本当にそれはこの先ずっと取っておくべきか自分に問いかける。
そうしてこれはもう要らないと思うならスパっと捨ててしまったほうが楽なもんだ。
空間は有限であり、自分の時間も有限だ。
少しの無駄もとらないほうがこの先うまく生きていける。
そうやって色々整理してだいぶ落ち着いてきた。
小学校の頃から住み始めた部屋がまた一つ様変わりし、新しい生活を迎えるための準備ができた。
さて、あとは大量に出たゴミを捨てに行くだけだ。
ここからまた新しい一歩を踏み出すことができる。
一体どんな道になっているのか。
それは誰にも分からない。
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