2018/03/10

日本の第九のふるさと 板東俘虜収容所とドイツ橋

日本で初めて第九が演奏された場所 

 Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

美味しい昼食を食べた後はせっかく徳島に来たんだからどこか観光地に寄っていこうということになり、こんなところに来ちゃいました。


どこか趣のある建物に窓には赤・黄色・黒の三色旗。
そうここは「鳴門市ドイツ館」。



第九が日本で初めて演奏された地というわけで、日本の第九のふるさとなんてキャッチコピーで宣伝されております。


 Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

最初は「日本の第九のふるさと」?
何を言ってるんだと軽い気持ちで来たわけですが・・・。
このドイツ館ができた経緯を知るうちに日本のこの場所でそんなことが!?と驚きの連続。

さてまず、この「鳴門市ドイツ館」が出来た経緯から紹介していきましょう。

板東俘虜収容所について


むかしこの地には板東俘虜収容所という名のドイツ兵捕虜収容所がありました。
え?なんで日本にドイツ兵の収容所が?と思う方もいるかも知れませんが、鋭い方はピント来たと思います。

そう時は第一次世界大戦期、ドイツ帝国率いる中央同盟国と連合国の戦いがあり、この時日本は連合国側で参加しておりました。
第二次世界大戦の同盟国のイメージが強いドイツですが、その30年ほど前は敵同士だったわけですね。

そして戦闘により捕虜になったドイツ兵は日本に移送され、ヨーロッパでの戦闘が長期化したため、日本の各地に長期収容を前提とした収容所が造られました。
そのうちの一つがこの地にできました「板東俘虜収容所」というわけです。

当時は捕虜のことを俘虜(ふりょ)と呼んでいまして、ようは捕虜収容所なわけですが、ここには合計約1000名のドイツ人捕虜が収容されていました。




収容所と聞くとアウシュヴィッツ的なものを想像しがちですが、そこは日本の収容所。
特に収容所長の松江陸軍中佐は捕虜の自主的活動を奨励し、収容所生活の環境改善などにも尽力しました。

その捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で有効的な処置は、ドイツ人捕虜と日本人との交流を育むきっかけとなり、互いの文化、学問、さらには食文化に至るまであらゆる分野で両国の発展を促したと評価されています。

そういう意味では日本で最も有名な俘虜収容所らしいのですが、あまり聞かないのは日本の戦後の自虐史観からその手の話がある種のタブーとされてきたからでしょうか?
私も日本にドイツ兵の捕虜収容所があるなんて知らなかったですし、それがこの徳島県鳴門市にあるなど聞いたこともありませんでした。




そしてドイツ人捕虜の多くは志願兵となった元民間人で、彼らの職業は家具職人や時計職人、楽器職人、印刷工、仕立て屋、パン屋など多岐に渡りました。
流石はマイスターの国ドイツなわけですが、そのスキルを生かして捕虜たちは多くの”作品”を近隣住民に販売したり、披露したわけです。

そして冒頭の話しに戻りますが、捕虜たちは自ら楽器を作成しそれで演奏活動を行っていきます。
娯楽の少ない収容生活での演奏会は捕虜たちにとって大きな刺激になりました。
彼らのオーケストラは高く評価されそしてとうとう一般大衆の前で、ベートーヴェンのあの有名な曲「交響曲第9番」が演奏されることとなりました。

これが日本で初めて演奏された「交響曲第9番」となったのです。
このエピソードは「バルトの楽園」として映画化されたようで上の写真はその時のセットです。

今はもう解体されたようですが、当時の収容所の雰囲気がよく分かると思います。


大麻比古神社とドイツ橋

  Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

そんなエピソードなどを鳴門市ドイツ館で学んだ後、近くに当時のドイツ人捕虜たちによって造られた石積みの橋があるということで、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)にやってきました。


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ドイツ館からほんのちょっと車で走ったところにありますが、大きなクスノキがご神木の落ち着いた雰囲気の神社です。


   Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

地元の方っぽい人たちも多く訪れており、近隣の人たちにも愛されてる神社なんでしょうね。


   Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

一応、阿波國一之宮ですのでこの大きさも納得です。
主祭神は天太玉命(あまのふとだまのみこと)


   Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

天照大神が天岩戸に隠れた際、思兼神(オモヒカネ)が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを、天児屋命(アメノコヤネノミコト)と一緒に占いを行った神様です。
あんまりポピュラーではないですかねぇ。


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そして目的の橋は境内を進んでいった先にあります。


    Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

池にひっそりとかかる石積みの橋。
これがドイツ人捕虜が築造し今日まで残る橋の一つ、めがね橋です。


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当然、当時は重機等などなく全部手作業で行ったわけですが、しっかりとしたアーチ状の橋脚。
ドイツ人の土木技術の高さが伺えますね。


    Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.

そしてそこから少し行ったところにある大きな橋。
こちらがドイツ橋です。
どちらの橋も実際に現地の方に使用されていましたが、今では保存のため立ち入り禁止となっております。




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捕虜たちが現地の人の為を思って作った橋ですが、こういった活動が文字通りドイツと日本の架け橋となったことは言うまでもありません。
第二次世界大戦後のバタバタで収容所時代に建てられた捕虜の慰霊碑が地元に放置されていたのですが、それを住民が気づいて清掃活動を始め、そのことが1960年に新聞などで紹介されました。

そしてそれがきっかけとなり、翌年中日ドイツ大使がこの地を訪問。
この慰霊碑の話がドイツ本国に伝わり、1962年に元捕虜と地元住民の交流が再開されることとなりました。

そして1972年に収容所跡地近くに旧ドイツ館が開設され、今の建物は1993年に竣工しました。
こんなエピソードがあったことは今回この地を訪れて初めて知りました。

戦争というものは多くの悲劇を生み出します。
ですが、争いあった敵同士、文化も言語も違う者同士がお互い尊重しあい、お互いを認め合うことは出来るのです。
この板東俘虜収容所はそのことを証明してくれる施設ではないでしょうか。
ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

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