2018/03/06

それはまるで絵画の世界 『ゴッホ~最後の手紙~』を見て

こんな作品見たことがない!?



さて、京都でターナーを見て、梅園で楽しんで。
今日1日で美というものをこれでもかというほど感じたのだが、今日の最後はある映画を視聴し締めくくりたいと思う。
それこそ(個人的には)超話題作である『ゴッホ 最後の手紙』である。

アーティスト125人が織りなすゴッホの世界観

この作品の存在は映画の前にある宣伝などで知った。
ここ最近、何作品か映画を見に行ったが決まってこの映画の宣伝がある。

普段はどんな映画の宣伝でもふーんとあまり興味を示さないのだが、この作品は違う。
なにか普通の作品と違う異様な雰囲気を漂わせているのだ。

『ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ』

日本においても知らいないのは物言わぬ赤子くらいと言っても過言でないほど有名な画家である。
彼は偉大な画家だが、自殺によりその短い人生を終えることとなる。
今作品はなぜ彼は自殺をしなくてはいけなかったのかがテーマである。




上の画像はこの作品の登場人物の1人、ゴッホの主治医である「医師ガシェ」である。
ゴッホ本人が描いた作品が左側、そしてその絵をモデルに作中で再現されたのが右の絵だ。

そう、この映画は実写ではない。
ゴッホがこれまで生み出した作品を参考に実に125人もの画家たちが62,450枚もの油絵を作成し、それをアニメーションとして編集しているのである!!




映画館のスクリーンであのゴッホ独特のタッチが眼の前で動いているところはまさに圧巻である。
また、映画を見ているとき感じたのが書く登場人物の躍動感。




なぜ絵画の人物たちがこれほどまで生き生きと動いているのか不思議で仕方なかった。
もちろん、アニメーションを作る上で以下に人物を動かすかはアニメーターにとって永遠のテーマだろうが、この作品に携わっているのはアニメーターでなく画家である。

後で調べて分かったことだが、この作品はこれもまたすごい方法で造られていた。
この作品はまずゴッホが描いた肖像画を元に現実の役者で似ている人を探しその格好に扮装してもらう。

そしてゴッホ風のセットやブルースクリーンのまえで作中のシーンを演じてもらいそれを撮影する。
そうして撮影された映像を特殊な機械でキャンパスに投影し、それを1枚1枚画家に油彩画で再現してもらったというわけだ。


上からゴッホが住んでいた街の郵便配達員「ジョゼフ・ルーラン」。
そしてその息子であり今作の主人公「アルマン・ルーラン」。
そしてゴッホが最後に寝泊まりしていた宿屋の娘「アドリアーヌ・ラヴー」。
真ん中がゴッホが描いた肖像画であり、役者が演じた姿が左、そしてそれを元に描いた映画のシーンが右となる。

アニメーションではモーションキャプチャーなど実際に人の動きをトレースして、それを元に書き起こすことがあるが、今作品もそれに近いことをしていたわけだ。
写実的とは間逆な印象派であるゴッホの絵を、実写を元にリアルな動きを加えたので、まるで絵画の世界の住人が生きているかのように動いて見えていたわけだ。

言うのは簡単そうなこの技法だが、このアイディアのために特別な装置の開発だけでも数年。
そしてそれを1枚1枚油彩画で再現するだけでどれだけの期間がかかったというのか。

まさに参加者たちの情熱と執念が形となって現れた作品であり、ゴッホの世界を再現するのにふさわしいと呼べる。


予告版を貼っておくので興味がある人はどうぞ。
また、これは余談だが演じる俳優も、表現力は勿論、容姿がゴッホが描いた肖像画に似ているということも選ばれたポイントである。
ゴッホ役のポーランド人俳優ロベルト・グラチークは、ある日突然電話で「ゴッホに似てますよね」と言われてビックリしたそうだが、確かに。




笑えるくらい雰囲気がよく似ている。
この作品を作り上げるために、多くの油彩画を描いた画家の力があることは間違いないが、その元になるシーンを演じた役者たちあっての作品ということも付け加えておく。


それは1人の天才(狂人)がなぜ死に至ったのかを探す物語



さて、今作品のストーリーについても少し話しておこう。
この作品の主人公は上にも書いたが、黄色いコートがトレードマークの『アルマン・ルーラン』。

ゴッホ 『アルマン・ルーランの肖像』 1888年  

黄色いコートに斜めに被った帽子。
間違いなくオシャレなイケメンである。
流石はフランス男子。

ゴッホは1888年にフランスのアルルに移り住むが、そこで出会ったのが郵便配達夫のジョゼフ・ルーランであり、主人公のアルマン・ルーランはジョゼフの息子にあたる。


ゴッホ 『郵便配達夫 ジョゼフ・ルーラン』 1888年  


あまり人付き合いの得意ではなかったゴッホだが、ジョゼフのもつ人柄に強くひきつけられる。
彼らは典型的なフランス人一家で、自分を家族ぐるみで理解してくれたとゴッホは後に語っている。

ゴッホはアルルでは孤独な生活をおくっていたが、そんなゴッホにとってルーラン家は唯一の安らぎでもあったのだろう。
ルーラン一家はルーラン夫婦の他に3人の子どもがいるが、ゴッホは全ての人物の肖像を残している。

物語はゴッホが自殺してからしばらく経ったアルルの街から始まる。

ゴッホはこのアルルの街で、住民の皆からあまり良いように思われていなかったが、そんなゴッホと家族ぐるみで付き合うルーラン一家のことも住民はよく思っていなかったのだ。

そんな住民と飲み屋でちょっとしたいざこざから喧嘩を行いその後酔いつぶれていたアルマン。
酔いつぶれた彼のもとに父親であるジョゼフが迎えに来たのだが。




アルマンはなぜ自分の父親があそこまでゴッホを擁護するのか理解できなかった。
フラフラ売れない絵を書くだけの毎日。
いつも神経質そうで、一時期は同じ画家仲間のゴーギャンと一緒に生活をしていたがそれもすぐに破綻する。
そして耳を切り落とす事件・・・。

どう考えても狂人そのものだ。

だが狂人ではない。
ただ、孤独で不幸な人物だと。

そしてジョゼフは息子に一つの願いを託す。
ゴッホが生前、ゴッホの弟のテオに当てた手紙が住民の嫌がらせのため、届かずに今になって出てきた。
これをちゃんと受取人の元に届けてほしいと。

最初は嫌がるアルマンだが、父親の願いどおり彼はゴッホの弟のもとを尋ねるために旅に出る。

そしてアルマンはテオの住んでいるところを知るため、ゴッホたちのことをよく知るパリの画商のもとを訪ねた。

ゴッホ 『タンギー爺さん』 1887年  

ゴッホの絵でも浮世絵が描いてあることで有名なタンギー爺さんである。
アルマンは彼から衝撃的な事実を教えられる・・・。




ゴッホの弟テオはもう死んだと。
そしてアルマンはゴッホの生まれとこれまで歩んできた人生を知る。

ただ、もう手紙を渡す相手はいない。
このまま帰ろうかとも思ったが、彼はこの手紙を渡すべき人物を探すべく、ゴッホが最後に過ごした町、オーヴェールを訪れることにする。

そこの住人たちから聞くゴッホの人物像。
そして自殺の謎・・・。

アルマンは一体誰に手紙を渡すのか、そしてゴッホの自殺の真相とは・・・。

詳しくは映画を見てその目で確かめて欲しい。


また、これは余談だが物語の都合上アルマンはゴッホのことを毛嫌いしているように描写されているが、実際のアルマンはゴッホに対して好意的に接していたようである。
特に、ゴッホが精神的な病で入院した時も、父親と見舞いに行ったそうだ。

また、父親ジョゼフは話をすることは好きだったが、文字を書くことは苦手だったそうで、そんな父親の代わりにゴッホの容態を手紙に書き、テオに連絡していたらしい。

当時アルマンは17歳。
肖像画を見るとすごく落ち着いた好青年だが(髭もオシャレだし)、この性格は心優しい父親の姿を見て育った結果に違いない。


作品を見て・・・

長々と書いてきたが、この作品を一言で表すなら『最高』である。
もう非の打ち所がない。

作品のテーマや表現力、どこを見ても絶妙なバランスで出来ており、足りないところはなくまた蛇足もない。
最初から最後までググっと惹きつけられた作品だ。

この作品は、ゴッホは知っているがどんな人物か、またどんな絵を描いていたのか知らいないという人に見てもらいたいし、ゴッホをよく知っている人にも見てもらいたいと思う。

私自身この作品を見てゴッホの絵画がグッと身近に感じれるようになった。
あ!あのシーンの元ネタはこの絵なのかと絵画展に行っても、別の視点で楽しむことが出来る。

実際、この作品はマイナーだからかこの時期になるとほとんど上映している映画館がなく、たまたま私の実家の近くの映画館が夜に1回上映しているだけだった。
しかも、それも3月8日までが期限であり、見れなかったら仕方ないかなくらいに思っていたのだが、これを見過ごすなんてとんでもない!!

DVDなどでも借りれると思うので、皆さんにもぜひ見てもらいたい。

ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

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