白山信仰の拠点の一つ平泉寺
有名な寺社にしては駐車場が狭く見えるが、訪れる人もそこまで多くないのでこれでいいのだろう。
その後、神々しい神の山は人々の憧れとなり、白山信仰は急速に全国に広まることとなる。
が、これこそ明治以降の神仏分離によって生まれた価値観であり、古来は同じように信仰されていたのかもしれない。
恐竜博物館から30分くらいの距離である。
きちんと払って先へ進もう。
平泉寺白山神社。
最初聞いたときは寺なのか神社なのかよく分からなかった。
この辺の地域が平泉寺町とあるので平泉寺町にある白山神社という意味か?とも思ったが、そもそもこの地域が平泉寺町なのはここが平泉寺だったからだろう。
白山神社は白山信仰のための神社ということは分かる。
なら平泉寺とは一体?
というわけで、ここで一つ整理していこう。
まず白山は富士山、立山とともに「日本三大霊山」と呼ばれており、古来より山岳信仰の対象とされてきた、
祭神は菊理媛尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊の三柱である。
717年に修験者泰澄(たいちょう)が白山に登拝し、瞑想していたとき、緑碧池(翠ヶ池)から十一面観音の垂迹である九頭龍王が出現し、自らを伊邪那岐尊の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したことをきっかけに社を築き、白山妙理大権現として祀った。
白山登拝が盛んになると、加賀(石川県)、越前(福井県)、美濃(岐阜県)に、その拠点となる馬場が設けられ、多くの人々で賑わうこととなる。
越前(福井県)の馬場は霊応山平泉寺と呼ばれ、三馬場は延暦寺の末寺となる。
延暦寺の末寺となった加賀の馬場(白山比咩神社)、美濃の馬場(長龍寺白山神社)とここ越前の馬場(平泉寺白山神社)は白山頂上本社の祭祀権を巡る争いを続けたが、最終的には霊応山平泉寺が白山頂上本宮の祭祀権を獲得した。
このとき霊応山平泉寺も廃寺となり、平泉寺白山神社に強制的に改組されたとのこと。
仏と日本の神々は別としたり明治政府としては、観音様が伊邪那岐尊の化身として出現した白山信仰はありえないということなのだろう。
確かに今の感覚としても、伊邪那岐尊が観音様として出現は違和感を覚える。
となると、現在の神々の価値観なんてものはここ200年も経たない新しい価値観ということになる。
それを分かりやすい仏の形に置き換えた、泰澄以降の白山信仰が新しい価値観と呼べるのか?
とにかく、明治以降ここは寺ではなく神社となった。
本殿には伊邪那岐尊を祀っている。
ただ、数字や人名、地名だけ覚えても何のこともないが。
そりゃここが馬場で栄えたってことは、人々が泊まる宿泊所や僧侶が修行する施設が必要なわけで。
ちなみにこの石畳も当時の石畳だ。
今後もここの発掘調査は続くらしい。
あまり人気のない場所だが、時間がある方はぜひ寄ってみて欲しい。
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