丘の上の小さな資料館
さて、昼食を食べた後ですが、米子に旅立つ前によった場所がここ”八雲立つ風土記の丘”です。
風土記の丘とは、文化庁の風土記の丘設置構想に基づき、遺跡及び歴史s料の保存及び活用を目的として設置された史跡等の遺跡を中心とする野外博物館・公園なんだとか。
確かに資料館前の広場には古い住居が再現されていますね。
全国に何箇所かこういった風土記の丘があるようで、松江にあるここは”八雲立つ”風土記の丘と呼ばれております。
結構へんぴなところにあるためか、資料館への来場者を見かけたことはあまりないですね。
実は大学1回生の野外実習の始めの頃、この資料館をスタートと周りをグルっとフィールドワークしたことがあり、私にとっては馴染み深い場所なんですよね。
ちなみに近くの神魂神社(かもすじんじゃ)は現存する日本最古の大社造の神社で、国宝にも指定されている由緒正しい神社です。
雰囲気もすっごくいいのでオススメのスポットですよ。
さて、入館したら受付には若い女性スタッフ(学芸員かしら?)がおり、その方に入場料を払って中へと入ります。
支払ってる途中に年配のスタッフ(こちらは確実に学芸員)の方も出てきて、「今日は暑いですね」とか話していると。
島根大学出身という話題になったとき、なんと最初にいた若い女性スタッフも「あ、私も島根大学卒なんですよ」という衝撃の言葉が!?
やはり、地元国立大学は地元への就職は強いのかしら?
ちなみに学部は違いましたけどね。
一応、写真撮影可能という立て札を見た後、上の写真にある貝輪をくぐっていざ中へ。
中の展示はそこまで多くないのですが、陳列とか展示の仕方とかセンスある感じで私はすきです、この資料館。
展示コーナーに入ってまず目につくのが、国引き神話の紹介パネル。
結構有名な話しなんですが、皆さんは知っていますよね?
まぁ、ざっくり話すと国土が狭く貧弱だった国を広くするために、島根近辺にある火山に縄をかけて大陸から土地を引っ張ってこようという壮大な土木事業のことです。
ちなみにもう少し具体的に言うと島根県大田市にある三瓶山と鳥取県にある大山にそれぞれ綱をかけ、海の向こうから陸を引っ張り島根半島としたというわけです。
ちなみに使った縄はそのまま薗の長浜(現在の稲佐の浜、昨日行ったところですね!)と弓ヶ浜半島になったといいます。
なんとまぁ、古代の人はこんなことを思いつくなぁと思ったあなた!
実はこれ別に荒唐無稽な話と思っていません?
この話は実は実際起こった地質的事象に基づいて創作された話なんですよ!
そもそも陸地が大陸から来るということ自体、日本列島の成り立ちそのままですしね。
ただ、ウン千万年前に起こったことで、流石に当時の人達がそこまで知ってたかは疑問なのですが。
ですが、島根半島のなりたちはちゃんと人類が日本で生活を営んで居る最中に起こった事象です。
もともと、島根半島と本州はくっついていたんですが、縄文時代に気温がぐぐっと上がった影響により、島根半島は島になったんです。
そこから気温の変動による海水面の変化と斐伊川から流れた土砂の堆積により、出雲平野が造られ、再び本州とくっつき島根半島となります。
また、西側は日野川から流れた土砂の堆積により弓ヶ浜半島が造られることとなるわけです。
どうです?
まさに神話の通りなんですよ!
縄文時代から奈良時代までウン千年の差があるわけですが、この何千年にも及ぶ地質現象を元ネタに神話を作れるってほんと人って凄いなと感心するばかり。
そんな歴史ロマンに心躍らせながら、中を見学しようと足を踏み出したのですが。
受付の学芸員さんが「今から外部の古墳の内部を見学しに行くんですけど、一緒にどうです?」と声をかけてくださいました。
実は私達以外に2組ほど小さい子供連れの家族がきており、その人達に今から外の古墳を案内するようです。
こりゃナイスタイミング!というわけで、私も外の古墳のを見学させてもらうことにしました。
とまぁ、喜び勇んで外に出たはいいものの、暑い!
緑がホント鬱蒼としています。
ちなみにこの左手の気が生い茂っている陸も古墳です。
パット見はただの丘なんですけどねぇ。
まだ掘ってないのでどんなものが眠っているかは知らないそうな。
そしてこちらが見学できる岡田山1号墳。
学芸員の方曰く、最初はここに限らず古墳は皆古墳と知らずただの山や丘と思って生活している。ただ、ここの土地所有者の枕元にある日恨めしそうに立つ人の姿があり、ここを掘れといわれて掘ったら古墳がでてきたとかなんとか。
そんなことを話していた気がするのですが、調べてみてもそんな話はネットには出てないなぁ。
ただ、ここから発見された鉄剣はかなり貴重なものらしく、X線撮影してみると刀身に文字が書いてあることがわかり、大和と出雲の関係を研究する上で大変重要なものなんだとか。
ここほれワンワンじゃないですが、そういう話ってよく聞きますよね。
やはり、人の意思というか何か思いがその場に留まることってあるのかしら。
さて、古墳の門を開けてもらいいざ中へ!
といっても中はかなり狭いんですけどね・・・。
頭をかがめて通路部分から懐中電灯で奥を見る程度しかできません。
ですが、この場所に数々の貴重な副葬品が眠っていたんですねぇ。
古代歴史のロマンですね。
さて暑い外の見学を終えた後は、中の展示物を見ていきます。
家族の皆さんは帰ったみたいで、見学者は私一人。
手持ち無沙汰なのか学芸員が付きっきりであれこれ説明してくれて、大変参考になりました。
ちなみにここの目玉の展示のひとつがこちら。
見返り美人ならぬ見返り鹿埴輪。
愛嬌のあるいい顔ですよね。
また、こちらは顔はないのですが、立派なふんどしを締めた力士埴輪。
ちなみに学芸員さんに聞いたのですが、足の部分にトゲトゲが付いているの分かります?
実はコレ、攻撃用の武器で、昔の相撲は蹴りもありだったと言うのです。
今みたいな巨体じゃなく、ガッチリした体型の人たちが手わざ蹴り技ありの総合格闘みたいな競技を土俵の上で繰り広げていたのでしょうか。
そう考えると相撲の起源と言われている武御雷と建御名方神の勝負も、今みたいに「はっけよーい、のこった!」じゃなく、ルール無用のデスマッチ!土俵から出るか動けなくなったら負け!みたいな勝負だったんでしょうかね。
そんなことを思いながら、今回の見学は終了。
さて、今日のメインは夜の花火大会ですし、そろそろ今日泊まるホテルに向かってその準備をしていきますか!
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