2020/09/26

和歌山寺社巡り その4 〜熊野本宮大社と大斎原〜

 やってきました熊野本宮


玉置神社から車で40分程度。
十津川をずーっと下り三越川と合流し熊野川になったあたりに、熊野本宮大社が鎮座しています。




関西方面から向かうと玉置神社→熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社と巡るのが一筆書きでちょうどいいんですよね。

ただ今日は流石に那智大社まで回る時間はありませんが、このあと熊野速玉大社までは行こうと思ってます。



憧れだった熊野本宮大社ではありますが、最初の感想としましては結構観光地化してるなぁって印象。
いやまぁ観光地なんですけどね。



これまで十津川沿いの曲がりくねった道をひたすら走り、いい感じに秘境感出てたのですが、ここに来ていきなり開けるんですよね。

先にも書きましたが十津川と三越川が合流し、1本の熊野川となり川幅もかなり広くなってますから。

開けた感じになるのは当たり前なのですが。



鳥居をくぐって境内に入っていけば、表の喧騒もマシにはなりますが玉置神社で感じたような荘厳な雰囲気が少し隠れてしまっているのは仕方ないことなのでしょうか。



熊野本宮大社ある場所もそこまでアクセス良いとは言えないのですが、さすがの熊野三社の本宮ですよね。
人は結構います。

というより駐車場に車を停めれたのが運が良かったというレベルです。



とりあえず階段中腹の立て看板にある通り、祓戸大神をお参りし奥へと進みます。



このコロナ禍で基本的に手水は使えません。
なんだか物哀しいですね。



そして本殿までやってきましたが、何やら神事を執り行ってるよう。
あの垂れ幕の奥は撮影禁止なので、カメラを収めて門まで進んで参拝してきました。

また、御朱印帳にも御朱印を貰いに行きましたが、このコロナ禍の影響で手書きはなし。
書き置きをお渡しというスタイルだったので、なんだか拍子抜けしちゃいました。

まぁ、せっかくなんで貰いましたけどね。



横にも結構立派な社があり、至るところに熊野大社のシンボルである八咫烏が書かれた幟が立っております。



境内自体はそこまで広いものではないので参拝自体はあっという間に終わると思います。



また目玉としては境内に八咫烏ポストがあるのでこれは必見(?)かもしれません。



帰りはせっかくなんで祈りの道、ようは熊野古道を歩いて駐車場へと向かうことにします。



今回の旅の目的は熊野古道を歩くということもあったのですが、これで目的も達成!!
・・・とはあまり言いたくないですね。

せっかくなんでもっと長い距離を歩きたいと思ってます。



この道はこの道で趣はありますけどね。
熊野古道は現存している箇所が何箇所もありますから、どこをチョイスしてもいいんですけど。

今回は熊野那智大社に向かう道を歩いていこうかなと考えています。



さて熊野本宮大社の参拝は終了しましたが、ここを見ないと熊野本宮大社に来た意味はありません。
そう、大斎原です。



元々熊野本宮大社はこの場所ではなく、熊野川の中洲にあったんですよね。
ようは川の真ん中に社を構えてたわけです。

ですが、明治の大洪水のとき社がすべて流されてしまったので、今の場所に建て直したんだとか。
いやー、ぶらタモリで予習しといてよかった。



というわけでこちらが日本一の大鳥居です。
2000年頃に建てられたコンクリート製の鳥居。

ちなみに現在熊野大社及び熊野古道などは世界遺産に登録されており、厳格に保存されております。
中の動植物とか石1つに至るまで勝手に採ったら処罰されるので気をつけましょう。

また、大斎原の中も撮影禁止とあったので、写真はここまでです。
さすが元熊野本宮大社が鎮座されていた場所。
雰囲気は最高でした。

ここは絶対一見の価値ありですよ。



そして大斎原からすぐそこに見える河原。
これが熊野川です。

ここまで川幅が広いということは、川がそれだけ岸を削ったということなんで。
中洲に建てた社なんてひとたまりもないでしょうね。

実際は明治時代に近代化に伴う木材の供給のため、山の木々を伐採して保水力が失われたのが原因といわれております。

うーん、人の活動に対する戒めだったのかもしれませんね。
というわけで、熊野本宮大社の参拝はコレにて終了。

このあとは熊野川をどんどん下り、熊野速玉大社に行きますよ。
ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

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