いざ給へ、ホーランエンヤ拝みに
とうとう待ちに待ったこの日が来ました!
そう、今日こそは10年に一度の大神事!
”松江ホーランエンヤ祭”が行われるその日です!!
思い返せば大学時代。
まだ右も左も、松江も出雲もあまりよく知らなかった頃。
何やらホーランエンヤという大きな祭があるという噂は友達伝で聞きましたが、そんなものには全然興味がなく、スルーしていたあの頃。
そこからもう10年も経つんですねぇ。
私がもうチョット早くカメラにハマっていたら、きっと三脚抱えて飛んでいったでしょうにほんと勿体無い!!
今日はそんな青春時代のリベンジとして、ガッツリ装備でホーランエンヤに挑もうと思います。
朝から気合はバッチリ!
午前2時には家を出て、6時前には現地に到着。
いつも花火大会で使用している市役所の無料駐車場に車を止め、まずはどんなもんかと軽装で現地を視察している次第。
今日は長丁場ですからねぇ。
実際、現時刻から祭りが始まるまでおよそ4時間あります。
そこから1時間ほど櫂伝馬踊りを撮影して、午後からは別の地点で再び櫂伝馬踊りを撮影する。
・・・体力持つかしら・・・。
最悪ここでビシッと決まったショットが撮れれば午後からのはスルーしてもいいかなとか思っていましたが・・・。
実際、来週の日曜日にもホーランエンヤ祭の最終日に櫂伝馬踊りを撮影できますからね。
とりあえず、トイレの場所やら撮影場所やら下見感覚で見に来たわけですが。
6時過ぎから橋の上の最高スポットは三脚がズラーッと並んでおりましたとさ・・・。
やっべー!!
完全に出遅れ取る!!
まだ三脚の隙間はありそうですし、急いで車に戻って重い機材を抱えてこの場所まで再度ダッシュ。
ホーランエンヤの櫂伝馬踊りは宍道湖大橋と松江大橋の間で2周、松江大橋と新大橋の間で3周、新大橋とくにびき大橋の間で2周行われます。
回数だけ見たら「松江大橋と新大橋」の間が一番チャンスが多いと思うのですが、新大橋は私が車を止めた場所から結構遠いんですよね。
それに午後の移動のことを考えたら最初の演舞がある「宍道湖大橋と松江大橋の間」で撮影し、それからすぐに場所を移動したほうが良さそうです。
ちなみに松江大橋の新大橋側はまだガラガラ。
ただ、こちらもそのうち埋まるんでしょうね。
とりあえず私も周りと同じく三脚をセットしてあとはその前でじっと待ちます。
中には三脚だけおいてどっか別の場所に行ってる人はいましたが、これは個人的にはマナー違反かなと思います。
いない間に勝手に三脚どけられても後で文句言えないかなと。
まぁ、そこまでするような人はいませんけどね。
そうこうしているうちに時刻は8時をまわりました。
だいぶ船が集まってきましたね。
そして8時を過ぎたあたりで後ろの方で歓声が。
慌てて振り向くと・・・。
本日のメインである櫂伝馬踊りを披露する船が到着したようです!
船の側面には地区名が書いてあり、この船は”大井地区”のもののようですね。
船の上には化粧もビシッと決まった演者の皆さんがおります。
地区によって衣装や踊り、掛け声などが違っており、それぞれ比べてみても楽しいでしょうね。
また、踊りを舞う方は結構若め。
未成年が多いと思うんですけど、地区の若者も年々経ていっているようで伝承が大変なんだとか。
そうこうしているうちに神様を乗せる船も到着。
そして、”大海崎地区”も到着したようです。
先程の大井地区の演者は青基調や赤基調な派手な衣装でしたが、大海崎地区は黒一色でシックに決めています。
カッコいいですねぇ。
また、船の後方には祭り囃子を奏でる奏者や女形の姿が見えます。
続々と船が到着します。
続いては”矢田地区”の櫂伝馬船です。
見ていてお気づきかもしれませんが、これらの船はロープで引かれて移動しているんです。
ホーランエンヤは100隻以上の船が船団を構成しながら、神輿船を先導していくわけですが、その中でも各地区から出ている櫂伝馬船はその名の通り、ちゃんと人力で移動します。
といっても、櫂伝馬踊りを披露するときだけで、長距離移動は上の写真みたいに他の船に牽引してもらっていると思いますけどね。
ただ、エンジンがない時代はどの船も漕いで移動してたんですよねぇ。
ほんと凄いもんです。
矢田地区の演者の服装は大井地区に似ていますが、カラフルですね。
また、南側の海岸に何やら凄いものが・・・。
じゃーん!!
クレーンに乗ったビデオカメラ登場!!
これなら最高のアングルで撮影できるでしょうね。
羨ましい!
とまぁ、船が集まってくるに連れて現地のテンションも次第に上がっていきます。
”福富地区”の櫂伝馬船が来ているのに撮影するの忘れるくらい盛り上がっています。
そしてラストは”馬潟地区”です。
「いーまかた」ってなんぞい?と最初思ってたんですけど、これは「い一(いのいち)馬潟」と読みます。
ホーランエンヤの祭りは1648年に出雲国で大凶作が起こった際、当時の松江藩主の松平直政が松江城にある城山稲荷神社の御神体を大橋川下流の阿太加夜神社まで運び、五穀豊穣を祈願したことが起源とされています。
それから10年周期で執り行われていましたが、1808年の祭りの際、雨風で神輿船が沈みそうになったんですね。
そこで駆けつけ助けたのがこの”馬潟地区”の漁師たちです。
それからは櫂伝馬船が神輿船を先導するようになり、年を追うごとに「矢田地区」「大井地区」「福富地区」「大海崎地区」が参加し、それらの地区を今では五大地と読んでおります。
大切なホーランエンヤの神輿船をいの一番に助けたのがこの”馬潟地区”。
ホーランエンヤの櫂伝馬船としては最も歴史が古く、船の側面に見える”い一(いのいち)”はこの地区の人達にとっての誇りでもあるのです。
松江大橋をくぐると各船大きなポールを立て、これに各地区の上りが掲げられます。
ちなみにこのまま松江大橋くぐって先に進めるの?!とこのとき心配してたんですけど、橋をくぐるときは逐一、このポールを畳んでました。
それだけでも重労働なのに、この区間では約二時間ぶっ通しで櫂伝馬踊りを披露するわけです。
安定しない船の上での演舞は相当体力、精神を消耗するでしょうし、ひたすら櫂を漕ぎ続ける人たちも辛い作業だと思います。
ですが、10年のお祭りを成功させるため失敗は許されません。
船が集まるにつれ、辺りには言いようのない緊張感が漂い始めました。
そして時刻は9時を回ると辺りも騒がしくなってきます。
宍道湖大橋の上にもズラーッと観客が並んでおります。
ちなみに私のいるポイントももう凄いことになっております。
・・・6時から場所取りしといてよかったぁ。
そして午前10時頃。
何やら河岸が騒がしくなってきました。
あとこれ撮ってて思ったのですが、24時間営業の駐車場の看板が邪魔すぎる!!
次回までには取っといて欲しいなぁ。
というわけで、お神輿の登場です。
まずは付添の鬼(?)の面を被った人や神職の方がぞろぞろ降りてきます。
あのかごはお神輿ではありません。
一体何が入っているのでしょう?
どうやら運ぶのはお神輿だけでなく、神様の身の回りの品とかも船で運んでいくようですね。
こちらの船はエンジン駆動。
まぁ、神様だって便利な世の中を寛大な目で見守ってくれてるはずです。
そしてお神輿が登場しました!!
最初、あっちの方で場所取りしようかと思ってましたが、この風景みてるとやめといてよかったと思います。
せっかく買ったお高い三脚とカメラが壊されそうで怖い・・・。
そしてお神輿をゆっくりと船に載せていきます。
ここで落としたらさぁ大変!!
青服の人たちにも緊張が走ります。
とまぁ、なんとかお神輿を船に乗せることが成功しました。
ここから櫂伝馬踊りが始まるのか!とまだかまだかと期待していたのですが、なかなかはじまりません。
10年ぶりですし、仕方ないよなぁと思いつつ、辺りからは”はよせえや!”という気持ちがこれでもかというほど溢れてきます。
実際、神輿の到着もちょっと遅れてますしね。
前回は雨が降っていたそうですが、今日はなんとか天気は持ちそうです。
天候に恵まれただけでも良しとせな。
皆さん温かい目で見守ってあげましょう。
とりあえず、予定時刻より遅れること15分。
いよいよ宍道湖大橋の近くに停めた櫂伝馬船が動き始めました。
ホーランエンヤ祭りの櫂伝馬踊り、開催です!!
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