結構なボリュームで朝を抜いていったがお腹がいっぱいになり、大変満足。
その店はイオンモールのフードコートにあり、最初はそこまで混むような店ではなかったのだが、その日は何人かの客が常に並んでいるといった感じ。
ちなみに一番混んでいるのは「丸亀製麺」。
丸亀製麺ができてから結構経つと思うだが、もう西から東まで讃岐うどんといったら丸亀と言っていいほど全国に浸透してきてるのではないでしょうか?
多分、フードコート内で丸亀が流行っている理由は「出てくるのが早い」、「豊富なメニューとトッピング」、「うどん単体の安さ」などではないかと考察します。
讃岐うどん本場に比べたらそう安くはないうどんの値段も、普通のファーストフードと比べるとかけが400円程度というのは大変リーズナブルだと思います。
マクドナルドでもセットを頼むと平気で500円を超えてしまうのでそう考えると丸亀製麺はお得と考える人が多いのかもしれない。
ちなみにマクドナルドも大変な賑わいである。
ここのところ健康志向ブームで野菜たっぷりのちゃんぽんだとか、和食などにニーズが傾いてきたかもしれないが、子供の頃からの馴染みの味となった近頃の大人たちにとってマクドナルドはある意味懐かしのソウルフードとなっているのである。
ちなみに今日の話題は丸亀製麺でもなくマクドナルドでもない。
そうタイトルの通り、「ケンタッキーフライドチキン」について。
なんでかというと、その野菜たっぷりのちゃんぽんを食べた帰りにフードコートの入り口近くのKFCにたまたま目をやったところ、ランチパックというセットが500円という価格を見てしまったのでこいつはたまにはいくかとホイホイ次行った時に買ってしまったのである。
というわけで、500円のランチパックAセット。
チキンサンドとポテトとドリンクのセット、そしてそれにオリジナルチキンをつけた。
まぁ、昼食で700円以上というのはそう頻繁に食べたくなる値段でもないが、かれこれ前に食べたのが数年の大学時代ということもあってせっかくだからオリジナルチキンもつけた次第であ
る。
そしてこのチキン、目玉商品だけあってやっぱ美味いですな。
圧力釜で揚げることで中まで柔らかく骨まで食べれます。
この圧力釜製法と脾臓のスパイスレシピあってのKFC。
何十年も同じ味を同じ製法で提供し続けているわけです。
そしてここからが今日の本題とでもいいましょうか。
このKFC。
創始者の名前はみなさんもよくご存知だと思います。
カーネル・サンダース
KFCの店の前に立っていることで有名な白ひげのおじさんです。
ちなみにカーネルというのは英語で大佐という意味ですが、別にこの方は軍人ではなく、ケンタッキー州において州に貢献した人に与えられる「ケンタッキー・カーネル(名誉大佐)」という称号なわけですね。
本名は「ハーランド・デーヴィッド・サンダース」。
1890年にインディアナ州で生まれ、早くに父親を亡くした彼は14歳で学校を辞め働くことになります。
そんな彼は様々な職業やときには軍隊に入り、生計をたてていたわけです。
そんなサンダースがKFCの前身とも言える「サンダース・カフェ」を開いたのは1930年のこと。
ガソリンスタンドに来る客に美味しいものを食べるところを提供したいという一心で、ガレージを改造したカフェに、テーブルを1つだけ置き、母親直伝の南部料理を振舞いました。
そうした功績が認められ、ケンタッキー州の知事から「ケンタッキー・カーネル」の称号を贈呈されたわけです。
しかし、話はこれで終わりません。
料理好きのサンダースはその後も料理研究に明け暮れ、そしてその中でも最も力をいれていたのが「フライドチキン」だったわけです。
そして度重なる改良の末、やっと満足の行くスパイスの組み合わせを見出し、今も店で提供されているフライドチキンが出来上がったわけですね。
その後、レストランを開くも火事にあったり、そして再度開き直すも客足が遠のき、多額の借金まで抱え路頭に迷うことになります。
まさに波瀾万丈の人生。
そのときサンダースは62歳でした。
しかし、そんな状態になっても彼は諦めません。
妻に励まされながら、自分にしかできないことをやろうとある1つのアイディアを思いつきます。
それこそ今日では当たり前になっている、「フランチャイズ方式」の経営だったわけです。
自分のフライドチキンに絶対な自信があったサンダースは、その調理法を教える代わりに売上の一部をもらう事業形態を思いついたわけです。
そして自分の店を売却し、借金も返済したあと、車に圧力鍋やフライドチキンの材料を積み込み、各地に売り込みに行きました。
ですが、もちろん最初からうまくなど行きません。
門前払いの毎日、州から州へ、来る日も来る日もその場でフライドチキンを実際に調理し、アピールし続けました。
また、フライドチキンを調理するのはサンダースでしたが、それを客に振る舞うのは妻のクラウディアが行いました。
そして調理をし終えた後、サンダースは南部の正装に着替え、客達をもてなしたのです。
その姿こそ、今もなお店先で見られる白いジャケットに黒のリボンのカーネル人形のスタイルだったわけなんですね。
そうして売り歩くこと100件以上!!
そのほとんどが失敗に終わったわけですが、それでも彼は諦めませんでした。
そうするなかで次第にオーナーも増えていき、3年間で200ものフランチャイズ店が誕生したわけです。
その後もサンダースは200以上の店舗に自ら足を運び、自ら調理して指導したりするなど努力を惜しみませんでした。
そうした彼の原動力となっていたのが、若いころ母親に言われた「仕事に必要なのは一つだけ、それはベストを尽くすこと」という教え。
彼が1980年、肺炎により人生の幕を閉じる数日前まで調理指導を行なっていたといいます。
まさに彼は死ぬまでその信念を貫き、ベストを尽くしました。
そんなわけでKFCのフライドチキンにも一歴史ありってことなんですね。
ちなみに彼の直筆のオリジナルレシピは本社の金庫に厳重に保管されており、この世で2人しか見ることができなんだとか。
そんな裏話も知りながらフライドチキンを食べたらまたひとつ美味しく食べれるかもしれません。
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