手摩乳命(てなづちのみこと)を祀る神社
Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.
「八劔神社」は今回の旅のメインであった御神渡りの神事を執り行っている神社だ。
「足長神社」「手長神社」は名前だけ聞いたことがあったが、この2社の御朱印も「八劔神社」で戴けるらしく、何かの縁を感じたので回ってみることにした。
まぁ、別に御朱印を貰いたいというわけではなかったが、この地に古くからある神社なのでこの機会に訪れてみるかと思ったわけである。
諏訪大社下社 秋宮を参拝した後、近い順に巡ろうとまずは「手長神社」まで行くことにした。
場所は上諏訪駅のすぐ近く。
諏訪郵便局の横に鳥居が有り本来ならそこからずっと階段を登っていくことになるが、残念ながら下には駐車場がない。
車で訪れる場合はそこを通りすぎ、先の交差点を左に曲がり山道をグルっと登っていった先に神社が見えてくる。
そこに何台か駐めれる駐車場があるのでそこを利用するといいだろう。
向かいには諏訪市立上諏訪中学校がある。
Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.
本来ならこの下から登ってくるが、この下には車を駐めれるところがない。
郵便局の駐車場に駐めるのも迷惑なのでやめておきたい。
Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.
手長足長と言えば、全国各地で逸話、社伝が見られる。多くはダイダラボッチのような山から山に届くほどの長い手足をもつ巨人の姿をしているか、足が異常に長い夫と腕が異常に長い妻の夫婦と伝えられる。
Leica M + Summilux-M 1:1.4/50 ASPH.
奇稲田姫はヤマタノオロチの生贄にされそうになったところをスサノオに助けてもらい、のちに二人は夫婦となるわけだが、スサノオがヤマタノオロチを退治する際、準備を手伝ったのが奇稲田姫の父母である足名椎と手名椎とされている。
EOS-1D X + EF24-70mm F/2.8L Ⅱ USM
ただ、この上諏訪町では手長足長は諏訪明神、つまり建御名方神の家来とされており、手長神社も諏訪大社上社末社である。
しかし、この手長神社の起源は諏訪大社よりも古く、境内の近くには旧石器時代・古墳時代の複合遺跡もある。
そしてこの地の伝承では建御名方神が侵略してきた際、諏訪を支配していた神の一つで、同じく土着神である洩矢神と共に建御名方神と戦ったとされている。
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手長足長は手足の長い巨人か。
手が長い夫と手が長い妻の夫婦か。
奇稲田姫の父母か。
諏訪明神の家来か。
洩矢神と共に戦った土着神か。
EOS-1D X + EF24-70mm F/2.8L Ⅱ USM
こうやって考えていくと民俗学も大変深く面白いことが分かっていただけるだろうか?
個人的には時系列的に考えていくと、元々はその土地で祀られている土着神が、大和系の豪族がこの地を征服した際に家来とされたと考えるのが自然だろう。
奇稲田姫の父母云々はスサノオの妻である奇稲田姫に箔を付けるために後付設定されたことかもしれない。
少なくとも奇稲田姫の父母は手足が異常に長い妖怪だったり、巨人ではなかったろう。
ちなみに柳田國男は、これらの社寺に関連する「てなが(手長)」という言葉について、給仕をおこなう者や従者を意味していた中世のころまでの「てなが」という言葉が先にあり、「手の長い」巨人のような存在となったのは後の時代のことであろうと推論している。
EOS-1D X + EF24-70mm F/2.8L Ⅱ USM
文化というものは面白く、常に変化し別の存在へと移り変わっている。
古く歴史ある物事のように見えることも、実際今の形態へとなったのはつい最近で前は全然別の形をしていたなんてことはざらにある。
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恐らく起源としてみれば別々のことであったろうが、人々が交流し伝聞していく際に主流なモノへと統制されていったのかもしれない。
EOS-1D X + EF24-70mm F/2.8L Ⅱ USM
ただの古臭い建物が、なんとも魅力的でロマン溢れる場所に見えてこないだろうか?
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ただ、こういった神社が大人気となり参拝するまで2時間待ち!などなったらそれはそれで悲しいので、これからも私はひっそり寺社巡りを楽しんでいくわけである。
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