2013/01/22
みなさんはもうこの画像も見慣れたころだと思う。
もし、何の画像かわからない人は見ているブログのページを下にスクロールしていただければ分かるかもしれない。
ただし、小さいディスプレイでいつもブログを見てくださっている人には全景を見るのは初めてかもしれない。
今日はこの画像について書いていきたい。
また、これはある場所を旅行中に撮影したものなのだがゆうはカメラを買ってからというもの、どっかに遊びに行く時にカメラを持っていくようになった。
その際に撮影した写真などもこれからは紹介して行きたいと思い、ブログテーマに新たに「├旅行記」などを加えてみたので、また見てくだされば幸いである。
ということで、今日は海に浮かぶとある島の話・・・。
みなさんは「おきにながされる」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
大概の人は「遭難」か「後鳥羽上皇」を思い浮かべるかもしれない。
まぁ、それ以外にもいろいろあるだろうが・・・。
上の2つは「沖」と「隠岐」の違いであるが、今回の舞台は「後鳥羽上皇」の方である。
すなわち「隠岐」。
今回の旅行先は「隠岐の島」なのである。
【隠岐の島】
通称、「隠岐」。
島根県北部に位置し、島根県側に近い3つの島を合わせて島前、奥の大きめの島を島後と呼ぶ。
島前の島はそれぞれ、「西ノ島」、「中ノ島」、「知夫里島」と呼ばれ、「西ノ島町」、「海士町」「知夫村」がある。
島後はかつていくつかの町村があったが、2004年に合併し、島全体で「隠岐の島町」となる。
本土とはフェリーにより行き来が可能であり、島では歴史ある神社などの建造物や、島独特の生態系を持つ生き物たちを見ることができる。
それをもとに近年では、島全体をジオパークとして、島の自然や歴史を保全し、教育や観光にしていく活動がされている。
古くは縄文時代早期から島に人が住んで活動していたのが当時の遺跡などから分かっており、本土との交流もされていたとされる。
また、隠岐の島は島前、島後とも元は火山島であったため、黒曜石などの火山石も多く産出される。
特に隠岐の黒曜石は質がよく、縄文時代から本土などに輸出されており、山陰地方一帯の遺跡や東は能登半島、西は朝鮮半島などの遺跡から隠岐で産出されたであろう黒曜石が見つかっている。
��はじまり~
きっかけはそう、あれは大学に入ってから半年ほどたった頃。
ちょうど、夏休みも終わりそろそろ大学にも慣れてきた11月も半ばの話である。
突然、友人から”隠岐に行かないか?”と誘われたのだ。
さすがの私も少し驚いてしまったが、よくよく聞いてみると、何でも今度隠岐でジオパークに関するシンポジウムがあり、我々の学科の教授も参加するらしい。
その際、興味がある学生も行っていいとのことだった。
しかし学生も行っていいとはいっても、普通行くのはゼミ生が中心であり、院生などの中に大学に通って1年にも満たない自分が行ってもいいものかと一抹の不安はあったが、好奇心には勝てず、二つ返事でOKした。
ちなみにその友人は大学に入学してからというもの、いろんな活動に手を出しており、その中でも「隠岐の島でのボランティア」なども行なっているようで、その繋がりもあってか今回のシンポジウム参加の話も出てきたようである。
私自身、大学に入ってからいろんなことをしようと思っていたが、自分が望む望まずに関わらずこういった周りの友人からホイホイお誘い(時には強引な)がかかるので、ありがたいような迷惑なような日常を送っていた。
しかしながら、今回のことは大いに期待できる事柄である。
大学教授やその他のゲストのプレゼンを聞き、また隠岐の島各地を見て回れるらしいのだから、これに参加しないことはないだろう。
しかも聞けば今回の旅は1泊2日で行われるらしいが、私はこの話を持ってきてくれた友人の隠岐での知り合いの家に泊まれるらしいので、かかる費用は交通費だけでよいといったことである。
何から何まで至れり尽くせりな旅である。
こうして私は、初めて隠岐の島へ旅行することが決まったのである。
先程も書いたが、隠岐の島へはフェリーによって渡ることができる。
当日、朝の7時くらいから近所のバス停まで荷物を持って歩いて行き、そこから隠岐の島にフェリーが出ている「七類港」という港まで向かった。
港で友人や教授の方々と合流し、チケット売り場にいって隠岐行きのチケットを購入。
しかし、その際私はちょっとしたミスを起こしてしまったのだ。
そう、そのミスとは大学生の特権ともいえる”学割証”の発行を怠ったというものである。
七類港と隠岐の島との往復費は7000円。
貧乏学生にとって、そう安い値段ではない。
今回向こうでの費用はほぼかからないことにはなったが、使えるものは使っておいたほうがいい。
今回のことは良い教訓にしたい。
ちなみに、友人は慣れてるものでしっかりと”学割証”を発行してきており、また前もって復路のチケットも購入していた。
今回は「おき」というフェリーに搭乗したのだが、それ以外にこの港からは同型船の「くにが」と高速船である「レインボー」といった船が出ているらしい。
何はともあれ、チケットは手に入った。
そして搭乗時間になると、みなフェリーへと乗り込んでいった。
フェリー自体そこまで大きなものではない。
よって、休日などは人がごった返すこともある。
とりあえず大学組で何箇所か場所をとり、そこに荷物を置く。
そして私と友人らは表のデッキへと歩いて行った。
そして、フェリーに乗ってから少しした後。
大きな汽笛とともにフェリーは港を出た。
港は湾内に作られており、波は写真を見ても分かるように静かであるが、湾を出たらそこは日本海。
通常でも少し波が高めで、それに伴い船も上下する。
私はそこまで船酔いする方ではないのだが、教授の中にはかなり船に弱い方もおり、船旅中はずっと船内で横になっているそうな。
我々、若い大学生グループはひたすら船の前部にある甲板で、いろいろ雑談をしながら海を眺めていた。
3時間半ほどの船旅である。
天気のいい日は本土からも島が見えるのだが、近いようで遠いそんな距離だ。
2時間半ほどたった頃だろうか。
もう、島は間近に迫っている。
しかしこれは島前であり、フェリーは島前の各港に着いた後、島後に向かうらしい。
そう、今回の目的地は島後である。
もう少々、波に揺られながら船が港に着くのを待つ。
目的地は目と鼻の先に迫っている。
一体どんな体験ができるのか。
フェリーの上での私は、これからのことを考えると期待感でいっぱいであった・・・。
>>続く
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