2013/06/21

山陽・四国旅行記 呉編 その5   ~大和ミュージアム~

呉の旅の最後を飾るのは大和ミュージアムです。




てつのくじら館とは道を挟んで反対側にあります。
駐車場は建物近くにもありますが、混んでる場合は前にあるイオン横の駐車場も利用できます。












建物内に入る前からすごいものが展示されていますね。





これは戦艦「陸奥」の41センチ砲。


人と比較していただくと分かると思いますがすごい大きさです。








館内に入るための入り口はこちらから。

中でチケットを買って展示室入り口の係の人に見せれば中を見学出来ます。







まぁ、この大和ミュージアムの目玉と言えばなんといってもこの1/10の戦艦「大和」の模型でしょう。

この迫力!!

大和の全長が263mですから1/10のサイズでも25mプールよりデカイんですからまさに壮観です。







戦艦「大和」。

日本を象徴する戦艦の代名詞ですね。
世界最大級の戦艦であり、搭載されている主砲も史上最大の46cm。

当時の日本の技術を結集させて作られた戦艦です。


その製造も極秘で行われ、設計図を書いている人間ですら何を作っているか分からなかったのですからすごい話ですね。







絶対に沈まない船「不沈艦」として製造された大和はその名の通り、日本という国を背負った船でありました。

太平洋戦争がはじまるはるか前、1937年に起工、1941年に就役し、沖縄の特攻戦で1945年4月7日までの4年間の間、まさに旧日本海軍の旗艦として活躍しました。

ちなみに旗艦(フラグシップ)というのは連合艦隊の中で司令官が乗る船で、主に連合艦隊の指揮をとる船のことですね。

まぁ、いわば戦艦のリーダーみたいなもんです。

これまでは戦艦「長門」が旗艦を務めてたわけですが、大和が就役してからはその役目は大和がおうことになります。



戦艦「長門」も呉にとって大変重要な船ですね。

大艦巨砲主義の先駆けとして1920年に就役し、当時としては世界初の41cm砲を搭載。
巡航速度も非常に早く、色んな意味で世界中から注目を集めていた船です。


ちなみに戦中は極秘扱いの大和と違って、ほとんどの国民がその存在を知っているくらいのアイドル的存在でした。

実戦での実績こそ他の艦ほどないにしろ、それは大和・武蔵につぐ主力艦として戦力温存のためとっておかれたからです。

1920年から幾度と無く改修を重ね、終戦まで生き残った稼働可能唯一の戦艦ということも戦艦「長門」の他の船とは違う特別な感じをきわださせている気がします。

ちなみにその長門もアメリカの原爆実験で沈められてしまいますが、2度の原爆実験にも耐えその4日後誰にも見られることなく静かに沈んでいったという最後もなんともドラマチックでいいですね。

博物館の表に飾られている41cm砲は長門と同型艦の「陸奥」のものですね。
同型艦というのはまぁ兄弟艦といったらわかりやすいと思いますが、同じレイアウトで作られた艦のことです。

長門の場合、長門型戦艦の1番艦で2番艦に陸奥がいるといった感じ。

大和型戦艦ですと1番艦が「大和」、2番艦が「武蔵」となります。



さてさて、戦艦雑談はこのへんにして博物館内の案内をしていきたいのですが、残念ながら歴史関係の資料は撮影禁止なので写真がありません。



その代わりといってはなんですが、歴史資料展示室の正面には



本物の零戦とかが飾られた部屋があります。
ここでは写真の撮影は禁止されてないので記念撮影とかバシバシしちゃいましょう。




こうして見ると零戦の装甲って結構脆そうですねぇ。





潜水艦とかも飾られてます。







こちらは内部。
こうして見ると、てつのくじら艦の「あきしお」がいかにデカイかが分かりますね。







さてここで大和ミュージアムの案内は終了です。

面白いので皆さんにもぜひ1度は訪れて欲しいところ。



ではでは。
ちなみにまだ今日の記事は続きます。


最後は夕食についてのレビューです!




呉編 その6に続く


ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

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