2018/06/19

災害はいつも突然やってくる 私の地震体験記

本来はGWのブログがまだ書ききれておらず、さっさと書けや!と怒涛が聞こえてきそうな今日このごろなのですが、書き溜めている記事をすっ飛ばしまだ記憶が新しいうちにこの記事を書いてしまいたいと思います。



皆さんもTVや新聞でご存知だと思いますが、6月18日(月)7時58分ごろに大阪北部を震源とする震度6弱の地震がありました。
私はそのときちょうど、尼崎市の武庫之荘駅に居たのですが、これまで体感したことのないような大きな揺れにこれは南海トラフ巨大地震がついに来たか!?と覚悟をしました。

阪神淡路大震災が起こった当時は私は6歳でしたが、ちょうどぐっすり就寝中であの大きな揺れは体験してないわけです。
いや、もしかしたら体は覚えていますが、あまりの恐怖に頭が記憶から抹消した可能性もなくはないですね。

その揺れを除けば、これまで体験した中で一番の揺れでした。
それでは当時の状況とその日の出来事を、今後の教訓のためにも記して行こうと思います。


その日は眠たい朝だった

その日の朝、私は起きるのが億劫でいつもより遅めにベッドから出ました。
なんせ、この土日は撮影に出ずっぱりでろくに寝ていなかったのです。

そのことはまたブログでも紹介しますが、土曜は星空撮影をしに猪名川まで、次の日の日曜も朝イチで奈良に向かって車を走らせあじさいを撮り、家に帰ってきたのは結局9時前。

その後、家の仕事をごちゃごちゃやっていたので寝るのが遅くなり、月曜の朝はほんと憂鬱なスタートでした。

その日は昼から外で会議があり、午前中は資料に目を通していかないとなとか、土日が忙しくて弁当のおかずを作る時間がなく、今日は仕方ないからコンビニでなにか買わないとなとかそんなことを考えながら玄関を出たと思います。

そしていつも利用している7時59分発の電車に乗るため、ダッシュで駅まで自転車を走らせました。
ほんの15分後にはあんなことになるなんて、このときは微塵にも思っていませんでした。


電車が到着する1分前

なんとか駐輪場に7時55分に到着し、そこから早足でホームに向かいます。
天気予報では午前中は50~60%の雨模様でしたが、幸いなことにまだ雨は降っていません。

ですが、むせ返るような湿度のせいで汗が吹き出て止みません。
なんとか電車が来る前にホームに入り、スマホを片手に電車を待ちます。

そして7時59分・・・。

最初は近くをダンプカーが通ったかと思いました。
ゴゴゴゴゴッッッという地鳴りがしたかと思うと、一気にグラっと激しい横揺れを感じました。

立ってられないレベルではありませんでしたが、私の脳裏に浮かんだことはこれは初期微動で、この後より強い主要動が来るんじゃないかということです。
そうなればこのホームが倒壊するかもしれない…とそこまでシュミレーションしましたが、なんとか地震は収まりました。

そして当たりで鳴り響くアラート。
ああ、こいつは大変なことになったと、そう感じずにはいられない瞬間でした。

電車は無事に到着したのですが、そこから発車する気配はありません。
アナウンスで「地震が発生しましたので運転を見合わせています」の繰り返しです。

私はしばらくはアナウンスとスマホで現状を確認。
親にLINEを送り、会社の同期のグループで各自の状況確認しました。

すると何人かは電車の中に閉じ込められてるそうで、それと比べたらこっちはまだマシだなと思えました。

そしてとりあえず行けるときに行っとくかとトイレに向かいました。
まぁ、ある意味覚悟を決めたのはこのときだったかもしれません。

そのあと何度めかのアナウンスで「しばらくは復旧の見込みはありません」という言葉を聞いたあと、別の手段で出勤するかと駅の改札を飛び出しました。

恐らくそのホームでは私が一番始めに改札を出た気がします。


自転車で出勤する

時刻は8時15分頃。
駐輪場で自転車を回収し、ひとまず家に帰ります。

家の状況が気になりましたし、車で出勤するか自転車で出勤するか迷っていたからです。
なんせ空は今にも雨が降りそうなくらい曇っていましたからね。

そして家につき、自分の部屋を見てひとまず安堵。
机の上に出しっぱなしのマイカメラ ライカがどでかい42インチディスプレイに押しつぶされてないか心配で仕方なかったのですが、幸いなことに私の家では深刻な被害はありませんでした。

風呂場のシャンプーやキッチンに置いてあった空のペットボトルが倒れたくらいでしょうか。
大きなディスプレイはコードを外して床に置き、カメラはキチンとしまいます。
各扉は家にいる時は開けておいたほうが良いのでしょうが、今から出かけるので基本的には締めて固定しておくことにしました。

私はいつも扉は開けっ放しにしておくことのほうが多いのですが、先の揺れで扉が勢いよく開閉した後がありましたから、再度の揺れの時勢いよく扉が閉まりガラス戸が割れたりしたら嫌ですからね。

そして水分をとり、いざ出陣。
結局、会社までは自転車で行くことにしました。

本来、こういうことがあったら民間の企業は速やかに休業し、各自然るべき備えをすべきだと思うのですが、私は残念ながらこういうときこそ何としても会社に行かないといけない立場ですから。

水を飲み水分をとった後、自転車に空気を入れ準備を整えます。
そしてグーグル・マップで経路を確認した後、自転車で向かったのでした。


9時15分、無事会社に到着

家を出たのが8時45分前でしたが、何分か走った後に会社に連絡をしました。
すぐにかけても誰も会社に居ないと思い、その時間まで連絡はしませんでしたが、案の定同じ課で会社に来ているのはほんの数人。

一応、自分の安否と現在の状況、そして1時間後までには会社に着くことを伝えました。
途中、雨に降られながらも何とか30分弱で会社には到着。

なんだよ、いつも電車で来るより早いじゃないか・・・と半分呆れながら会社の駐輪場に自転車を止めました。

そして職場に向かい、後はひたすら課員の安否確認と現状を調べました。


その後・・・

その後は特に大きな事張りませんでした。
被害などはニュースで随時見て確認していましたが、高槻市などでは死者や水道管破裂、火事など起こっていましたが、こちらはそれらの情報もありませんでした。

電車の普及状況も常に確認していましたが、笑えるくらい真っ赤でしたね。


どの路線も大阪に繋がっているものは運行停止状態です。
ただ、それも15時頃には徐々に解除されていったので、凄いなと感心したものです。

なんせ、大阪北部とは言え都会での直下型地震です。
それでもここまで被害を抑えられたということは、阪神淡路大震災のときの経験が生きたのかなと思ってます。

ただ、18日の夜や19日の朝にも弱い揺れがあったので今後も警戒は必要でしょう。

個人的に今回良かったと言えるポイントが、
・すぐにLINEなどで各自の安否を確認した。
・自転車で会社に向かうことを即決断できた。
・家の中の家具などすべて背の低いもので統一していた。
などでしょうか。

逆にここはこうしとけばと思ったのが、
・雨の中でも自転車で向かいやすいよう雨合羽など常備すべきだった。
・机の上のPCディスプレイはスタンドでなくアームなどで固定しておくべきだった。
・カメラなどは常にBOXなどに収納しておくべきだった。
・災害用の備蓄がないのでちゃんと備えておくべきだった。
などでしょうか。

特にディスプレイの置き方と、水やアルファ米などの食料はまだ置いてないのでやっぱ必要だなと感じました。
正直、独り身だとなんとでもなるという余裕があるため、あまりこういった備えをそこまで真剣に考えないんですよね。

ですが、そういったものも自分が使わなくても誰かの助けになるかもしれませんし、やっぱり備えておくべきなんでしょうね。

というわけで、今回あった地震について私の体験記をお送りしました。
今後は、いざというときの災害用備蓄なんかをブログとかでも紹介していけたらいいですね。
そうやってきっかけ作らないと結局やらなさそうですし。
ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

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