昼食を食べたあとは本日最後のメインイベント、春日大社に向かった。
今年、春日大社は20年に一度の「式年造替」の年だったのである。
一昨年には出雲大社の「大遷宮」、伊勢神宮の「式年遷宮」があり2つの神社に行く機会があった。
そのため、これも何かの縁だと思い、春日大社の「年式造替」にもぜひ行ってみたかった。
「式年造替」は「遷宮」と違い、新たに社を建てそこに神様を移すのでなく、社の位置は変えずその社自身を建て替えもしくは修繕を行うものらしい。
もちろん、建て替え中は神様は別の場所に移動してもらうわけだ。
まぁ実際なところ「式年遷宮」も「式年造替」もこういった場所に来て改めて意識しない限り知り得ない知識だろうと思う。
私自身今回初めて知ったことだ。
こういう新たな発見を探しながら寺社を巡るのも寺社巡りの楽しみの一つ。
とはいえこういった観光も写真撮影というきっかけを作らなければなかなか動く気持ちにならない。
何事もモチベーションというものが大切なのだ。
大きな鳥居の前に獅子と狛犬が鎮座している。
この獅子、狛犬も神社ごとそして地域ごとに差があるのだ。
みなさんももし神社に行く機会があるなら意識して見ていただきたい。
意外と知らない人も多いらしいが、向かって左の口を閉じている方が狛犬像で「吽形(うんぎょう)」。
そして向かって右の口を開いている方が獅子像で「阿形(あぎょう)」である。
この阿吽は仏教の呪文(真言)の一つであり、口を開いて最初に出す音が「阿」、口を閉じて出す最後の音が「吽」であり、そのことからそれぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされているらしい。
宇宙の他に前者を真実や求道心に、後者を智慧や涅槃に例える場合がある。
私は今回春日大社に初めて来たのだが、ここは石灯籠が多い。
苔むした石灯籠が立ち並ぶ参道は歴史を感じさせる。
外国人にも人気なのか周りからは外国語ばかり聞こえてくる。
そのほとんどが中国語だが…。
また、遠足か修学旅行か。
中学生の姿も多く見受けられる。
奈良の寺社など遠足の定番ではあるがその頃にこんな場所に来てもあまり楽しさを享受出来ない気がしないでもない。
実際、就職した今ですら職場の中で寺社を巡ることを珍しがられたりする。
こういう場所に来るときはそれなりに楽しみ方を見つけないとつまらない場所なのだろう。
私は昔から寺社の雰囲気が嫌いではなかったし、どこか日常と隔絶した空間は普段と別の時間が流れていくようでその場所に居ることで気持ちも落ち着いたりする。
そして春日大社本殿前の門が見えてきた。
赤の建物と緑の木々とがとてもキレイだ。
そういえばみなさんはこの春日大社に祀られている神をご存知だろうか?
主祭神は「武甕槌命(タケミカズチノミコト)」、「経津主命(フツヌシノカミ)」、「天児屋根命(アメノコヤネノミコト)」、「比売神(ヒメガミ)」の4柱であり、786年に中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために創設されたらしい。
上記に上げた4柱は総称して春日神と呼ばれるらしいが、その中の1柱「武甕槌命(タケミカズチノミコト)」が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とし奈良にはその辺に鹿が闊歩してるわけだ。
実はその「武甕槌命(タケミカズチノミコト)」が祀られているのでこの春日大社には前から来たいと思っていた。
「武甕槌命(タケミカズチノミコト)」は古事記では「建御雷神」・「建御雷之男神」と表記されているがその名前が示す通り、武神・軍神・雷神として信仰されている。
日本神話においては「出雲の国譲り」の際、高天原から出雲に降り立ち大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)に国譲りの談判を行うこととなる。
~タケミカヅチと天鳥船神(アメノトリフネノカミ)は出雲の国の伊耶佐(いざさ)の小浜(現在の稲佐の浜)に降り立つと、剣を抜き逆さまにして柄を下にして突き立て、その剣の切っ先の上にあぐらを組んで座りました。
そしてオオクニヌシに向かい「私たちはアマテラス様の命令できた。葦原中国は我が子が統治すべきだとアマテラス様はおっしゃっているが、お前はどう思うか?」と強い口調で言いました。
オオクニヌシは「私の一存ではお答えできません。息子の事代主(コトシロヌシ)がお答え致しましょう。ですがあいにく美保の岬に鳥や魚を取りに遊びに行っております。」と答えました。
タケミカヅチはアメノトリフネを迎えに行かせ、国譲りについて尋ねたところ、コトシロヌシは「おっしゃるように、アマテラスのお子様に差し上げましょう。」と答えました。
するとそこへオオクニヌシのもう一人の息子で力持ちの建御名方神(タケミナカタノカミ)が大きな岩を抱えて戻ってきました。
タケミナカタは「この国が欲しいのなら力比べだ」と言って大岩を投げ捨て、タケミカヅチの腕をぐいとつかみました。
するとタケミカヅチの腕が氷の柱や鋭い剣に変わりました。
タケミナカタが驚きひるんでいると、今度はタケミカヅチがタケミナカタの腕をつかみ、葦の若茎のように軽くひねって投げ飛ばしてしまいました。
タケミナカタは恐ろしくなり、逃げ出しました。
タケミカヅチは逃げるタケミナカタを追いかけ、とうとう信濃の国(現在の長野県)の諏訪湖辺りまで追いつめて組み伏せてしまいました。
タケミナカタは「私は諏訪の地から外には出ません。葦原中国は全部お譲りしますから助けてください」と命乞いをしました。
タケミカヅチが出雲に帰り、オオクニヌシにそのことを伝えると、オオクニヌシは「仰せのとおりこの国をお譲りします。
そのかわり、高天原の大御神様の御殿のような神殿を建てていただきたい。」と答えました。 タケミカヅチは願いを聞き、オオクニヌシのために大きな神殿を建てました~
長々と書いてしまったが以上が武甕槌命(タケミカズチノミコト)が行った国譲りの内容だ。
ここで知ってる方は知っているだろうが武甕槌命(タケミカズチノミコト)と建御名方神(タケミナカタノカミ)が行った力比べが「相撲」の起源とも言われているのだ。
また、島根県出雲の神だった建御名方神(タケミナカタノカミ)が諏訪地方にある諏訪大社に祀られているのはこのような経緯があったからなのである。
私が仕事の都合で大学を卒業後、島根から茅野・諏訪地方に行くことになった時、建御名方神もなんだかんだあって島根から諏訪に来て上手くやってるんだし自分だってなんとかなるだろうとか思ったことは内緒である。
ちなみに建御名方神は諏訪に来たあと当時諏訪地方にいた土着の神、「洩矢神」と争い戦いに勝った結果その土地の神として祀られることとなったわけだ。
そのとき洩矢神は鉄輪を、建御名方神は藤蔓を持って闘ったそうだが、どう考えても藤蔓の方が不利じゃね?と思う。
私はそこの土着神には勝てず地元兵庫に又戻ったが、もうちょっと諏訪大社にお参りに行っとけば良かったかしら?
まぁそんなアホなことは置いといても、こうやって地元の寺社を巡るだけでもどこか繋がっているものなのだ。
これぞ縁だと私は思う。
とりあえずこういうことに興味を持つきっかけになった、大学時代の島根県での暮らしは今後の人生でもとてもいい影響を与えてくれるに違いないと思っている。
神話の話とかは置いといて春日大社の話題に戻ろう。
賽銭箱の横にはこのような札が置いてあり、今神様は左斜め方向の御仮殿に居るとある。
ちなみに本殿はここから右斜方向になる。
そしてこの先1000円の特別参拝料を払えば、普段は神社関係者や皇族以外はいることが出来ない本殿まで見学できるのだ。
ええ、このために来たのだし快く参拝料を払い奥へ進む。
ちなみにそこからは写真撮影禁止だったので私の心にしっかりと写しておきました。
本殿前には警備員が目を光らせていたが、最近変な液体をまく輩がいるから仕方ない。
でも、本殿前まで来て見学していると書いてある絵について色々教えてくれたりとなかなかフレンドリーな警備員だった。
春日大社の境内を歩いていると多くの石灯籠があるが、そこには紙がはられている。
しかし、見ていくと中には破れたものもいくつか見受けられるのだが・・・。
私は決定的瞬間を見てしまったのだ。
・・・なるほど神の使いの仕業でしたか。
これは誰も怒れんな。
天気は相変わらず曇だったが、境内内の雰囲気は最高だ。
ぐるっと歩くと結構な運動になる。
みなさんももしよければ一度は春日大社を訪れてみてはどうだろうが?
ただし、諏訪地方の方はお参りしたら地元の諏訪大社の建御名方神が怒るかもしれない(笑
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