2015/09/06
今日はとある用事で芦屋神社の近くまできたのでついでだから芦屋神社に参拝してきた。
阪急芦屋川駅から徒歩10分程度の場所にあり、結構な坂を登ってこなければいけない。
住所としては東芦屋町という場所になるが、閑静な住宅街と言った感じでさすがは芦屋。
結構大きな家も多く、それにこの神社の直ぐ目の前写真で言うと左手には大きなマンションも最近建った。
このマンションも随分とお高そうだがいくらくらいするのだろうか。
そんな住宅街の奥にひっそりと佇んでいるのがこの芦屋神社である。
芦屋神社の存在自体は前から知っていた。
と言っても1年ほど前だが。
芦屋市の名前を冠した神社なのでそこまで古いもんでもなく地元の小さな神社だろうなと勝手な思い込みをしていたわけだが、起源は結構古いものだとその後調べて居て分かった。
この芦屋市近辺とくに山麓沿いでは昔から天神社や水神社が幾つか存在した。
今では岩園に岩園天神社が残っているが、それも昔はこの辺一体は岩ヶ平と呼ばれていたので岩ヶ平天神社と呼ばれていたそうだがそのような神社が幾つか合った。
そもそも天神社つまりは天神といえば一般的には天満宮の菅原道真を思い浮かべるだろうが、この地域でいう天神とは文字通り「天の神」のことをさし、ようは高天原にいる天津神のことを指している。
そしてこの芦屋神社で祀られている天神こそ「天穂日命(アメノホヒノミコト)」である。
天穂日命は出雲の国譲りの際、最初に天照大御神から大国主を説得するように遣わせられたが大国主を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に帰らなかった。
そのため次にニニギが天照大御神の命を受け、無事国譲りを遂行する。
このときニニギが地上に降りたことを「天孫降臨」と呼び降りた場所は高千穂峰(現在の鹿児島県南さつま市)のあたりが有力らしいが、実は天穂日命は六甲山に降り立ったらしいのである。
六甲山の山頂、六甲山カンツリーハウス敷地内には天穂日命の磐座があるとされており、この辺六甲山周辺には巨石信仰があるのもそのためかもしれない。
そんな天穂日命縁の地なのでこの辺は天神社がいくつもあり、それをまとめて明治21年頃に「芦屋天神社」としたのがこの神社だ。
それが「芦屋神社」と変わったのは昭和21年と戦後の事になるが、今でこそ閑静な住宅街の中にある神社だが昔は裏山などうっそうと生い茂る森だったらしく今よりもより神秘的な雰囲気だったのかもしれない。。
まさか地元からちょっと行ったとこに出雲と縁のある神を祀った神社があるなんて思いもよらなかった。
というより、天孫降臨は九州の話とばかり思っていたが、なぜ最初天穂日命は六甲山に降り立ったのか。
まるで逆ではないかと不思議に思ったり。
なんにせよ出雲まで行くのは大変だっただろうなぁ。
そんな芦屋神社であるが、小ぶりな神社ながら整備も行き届いており割と雰囲気もいい神社だ。
私が尋ねた時も先客が来ており何やら祈祷でもあげていたのか正装した集団とすれ違った。
ちなみにこの神社には有名人の墓もあるが、それがこの「猿丸太夫」の墓である。
皆さんは知っているだろうか?
名前を聞いただけでは?と思う方も居るかもしれないが恐らく百人一首の、
”おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき”
の歌を聞くとああ、あの人ねと思う人も多いのではないだろうか。
ちなみに私はこの歌が一番好きで(というより一番覚えやすかったんで)ここに墓があるのはちょっと驚いた。
とはいえ、よくわからない人物らしく本当にその人の墓かは分からないが。
ちなみに歌の中の奥山もこの芦屋にある奥山と関係性があるかは不明とのこと。
まぁ全国に自称猿丸太夫さんがいたらしいので・・・。
今日は生憎の雨でじっくり見ようにもあまり長居できる環境ではなかった。
コンデジしか持って行ってなかったので水滴がつくのも少し気になる。
そんわけで今日はサッと行ってサッと帰ってきた感じだ。
また機会があればじっくり見に来てもいいかもしれない。
地元の人などは初詣はここに来るらしいので結構賑わうらしい。
近くにマンションがガンガン立ち並ぶのも個人的にはどうだろうと思うが、この雰囲気はいつまでも消えてほしくないものだ。
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