魚津で昼食をとったあとは再び高速に乗り、今回の旅のお目当てでもある糸魚川「フォッサマグナミュージアム」にやってきた。
ずっと前から一度訪れたいと思っていた博物館である。
あれは私が大学生の頃、隠岐の島で開催されたジオパークのシンポジウムに参加した時のこと。
講演者の1人にここフォッサマグナミュージアムの学芸員の方が来られ、糸魚川ジオパークの話をしてくださった。
糸魚川は日本で初めて世界ジオパーク認定がされた場所でる。
そもそもジオパークとは、地球科学的に見て重要な自然の遺産を含む、自然に親しむための公園のことである。
単なる自然公園とは違い、ジオパークは地質的に重要な特徴を複数有し、更にその他の自然遺産や文化遺産を有する地域がそれらの様々な遺産を有機的に結びつけて保全や教育、ツーリズムに利用しながら地域の持続的な経済発展を目指す仕組みをさ指す。
簡単にいえば、珍しい地形があり、それらの周りにある自然や人々の文化を色んな人に知ってもらおうと活動する地域という感じであろうか。
隠岐の島もこの世界ジオパークに登録しようと頑張っていたのだが、今調べたら2013年9月に世界ジオパークネットワークに加盟したようだ。
隠岐の島の貴重な地質や自然環境、そして文化を世界に発信しようとスタッフの方々は頑張っていたがそれが実ったようで何よりだ。
そんな懐かしい思いを抱きながらこの地を訪れたわけだが、皆さんはフォッサマグナというものをご存知だろうか?
もしかしたら1度は聞いたことがあるかもしれない。
フォッサマグナ(Fossa Magna)とはラテン語で「大きな溝」という意味である。
上記のように本州中央部に位置し、日本海側から太平洋側まで横断する。
フォッサマグナから西側を西南日本、東側を東北日本といいある意味日本を東西に分ける切れ目とも言える。
このフォッサマグナは名前の意味通り、大きな溝であり、
現在では6000m以上もの堆積物が堆積している。
また、フォッサマグナの地下には、フォッサマグナの部分が落ち込んだ時にできた南北方向の断層があり、それを通ってマグマが上昇し、南北方向の火山列ができたと考えられている。
妙高山や八ヶ岳、富士山や箱根などがフォッサマグナの上にある代表的な火山である。
ある意味日本で最もダイナミックでホットな位置だということが分かると思う。
ちなみにこのフォッサマグナを発見したのは実は日本人ではなく、ドイツの地質学者であるハインリッヒ・エドムント・ナウマンである。
そう、あのナウマンゾウでも名を残す人物であり、日本初の本格的な地質図を作成した。
そんな日本でも珍しい地質がある場所である糸魚川では、その大地の運動により出来た名産品がある。
それが「翡翠(ヒスイ)」である。
糸魚川上流にはこの翡翠の原石が文字通りゴロゴロしており、かなりの巨石のものもある。
昔は様々な人が翡翠取りに興じ、中には硬くてタガネを打ち付けたはいいが持って帰れなくそのまま放置されているものもあるそうだ。
今では糸魚川上流では翡翠を取ることは禁止されている。
そんな糸魚川の翡翠であるが、ここが産地だと再発見されたのは昭和初期の頃だ。
それ以前は翡翠は日本では取れず、縄文時代などの遺跡から出土した翡翠もミャンマーなどから中国や朝鮮を経由して、日本に渡来したというのが通説であった。
そんなとき糸魚川の偉人・相馬御風が知人の鎌上竹雄さんに、昔、糸魚川地方を治めていた奴奈川姫がひすいの勾玉をつけていたので、もしかするとこの地方にヒスイがあるのかもしれないという話をしたそうだ。
鎌上さんは親戚の糸魚川市小滝に住む伊藤栄蔵さんにその話を伝え、伊藤さんは地元の川を探すことした。
すると伊藤さんの住む小滝を流れる小滝川に注ぐ土倉沢の滝壷で緑色のきれいない石を発見したのだ。
その後、緑の石は大学の専門家により翡翠だということがわかり、糸魚川が翡翠の産地として一躍有名になったのである。
ちなみにその時に聞いた奴奈川姫(ヌナカワヒメ)の話というのが古事記に出てくるオオクニヌシがヌナカワヒメに求婚する話である。
簡単に書くとある時オオクニヌシノミコトは高志(越)の国に奴奈川姫(ヌナカワヒメ)というかしこく美しい女性がいるという噂を聞きつける。
そしてぜひ嫁にしたいと思ったオオクニヌシノミコトは越の国に赴き何度も舘を尋ねたが奴奈川姫は会ってはくれなかった。
そこでオオクニヌシノミコトは我が想いを歌で伝えてみてはどうかと思い、舘の外からヌナカワヒメに求婚の歌を詠む。
そしてヌナカワヒメもそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚したという話だ。
ちなみにそのオオクニヌシノミコトとヌナカワヒメの間に産まれたのが建御名方神(タケミナカタ)。
そう諏訪大社に祀られている神である。
島根と諏訪を繋ぐルーツがこの糸魚川にあったとは、縁というものはほんとうに面白い。
フォッサマグナミュージアムを楽しんだあと、近くにある資料館にも行ってみた。
資料館にはこの近くの縄文遺跡についての資料などが置いてあったが、あまり人が来ないのか受付兼案内人の方が色々な説明をしてくれた。
こっちが後で海岸に翡翠を広いに行く旨伝えると、それは長くいられませんねぇと言いつつあれやこれやと逐一資料について説明してくれたのだ。
最後には時間をかけ過ぎちょっと恐縮していたようだが、個人的には全然問題ない。
どうせ海岸に行っても翡翠が拾えるとは限らないし、それよりこの辺の歴史を聞いてるほうがよっぽど面白い。
皆さんもフォッサマグナミュージアムに行かれる際には資料館にもぜひ足を運んで欲しい。
そしてミュージアムに行ったあとは近くの海岸まで車を走らせた。
もちろん目的は翡翠を拾うためだが、素人が何時間探しても見つからないものは見つからない。
その辺をざっと歩いてさっさと引き上げることにした。
大学時代、石好きな連中と来たら半日くらい探していたんだろうが1人でブラつくのもアホらしい。
そして今日泊まる上越へと向かった。
糸魚川、あまり滞在はできなかったがとてもおもしろい場所であった。
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