2013/09/02

9月の始まり

あっという間だったがもう9月に入ってしまった。
世の小中高生は宿題の最後の追い上げをしている頃かもしれない。

子供の頃の夏休みといえばこの大量に出される課題であるが、コレこそが今後の人生において、自分の物事に対する取り組みの姿勢を構成するのではないかと私は思うわけである。

というのも、最近私は中学生に勉強を教える機会があるのだが、もちろん教えて欲しいと言うくらいなのだから学校の成績はあまり芳しくない子どもたちである。

そんな子どもたちに共通して言えることは物事のプランニングができないということである。
つまり、出された課題に対しどのように対処したらいいか分からないということだ。

子どもたちが夏休みの課題に取り組む姿勢は大きく分けて4つに分類される。

1, 早めに終わらせる(この場合7月中や8月上旬くらい)
2. 夏休み一杯をかけて終わらせる(これは宿題の量を夏休みの日付で割って計画的に行う場合である)
3. 宿題の提出期限になんとか間に合わせる、もしくは遅れて出す
4. 出さない

の4つである。

この中で理想的なのはやはり1番の早めに終わらせるである。
長期休暇といっても毎日フリーというわけでなく、様々な予定が入る可能性がある。
そのような可能性を考慮しても、課題をできるときにできるだけ早く終わらせておくことはその課題をやり遂げるという意味でも大変有効な手段である。


次に2番であるが与えられた期限を目一杯使って物事に取り組むのは、計画としては不確かであると言わざるをえない。
もちろん、しっかりと計画立てることは評価に値するが、先も言ったように夏休みには何が起こるかわからない。
そのような突然のイレギュラーな存在を考慮してある予定ならともかく、なんとか期限に間に合わせようという余裕のない予定は、その予定自体実行することが難しく、多少の遊びを含むものにしておいたほうがいいだろう。


続いて3、4。
3のなんとか期限に間に合わすというのは、別に夏休みの宿題というのは夏休み中に仕上げなくてはならないのではなく、中学生以降であれば最初の教科の授業で提出の場合がある。
その最初の授業に間に合うように仕上げるやり方だ。
もしくはその期限を破って、遅れて提出すること。
そして4は最初から出さないことを決め込み宿題自体やらないことだ。

これら2つは姿勢そのものは違うが結果としてはどちらも大変不十分である。
特に3も提出期限に間に合わせるように出したり、提出期限に遅れて出すというのも、夏休みの課題は夏休み中にするという課題の意図を無視した自分勝手な行動と言えるだろう。

課題をこなせてないという意味では4の出さないとほぼ同等と私は思うのだが、学校においては遅れてでも出す人間はそれなりに評価される。
しかし、もしこれが社会ならば期限を守らなかった場合は例えその物事が後に完成したとしても完成してないことと同価値しかない。

最初から遅れてでも出せばいいや、という考えは突き詰めれば最初から出さなくてもいいという思考になりがちになることも踏まえておきたい。



と、ここまで全国の学生の宿題に取り組む姿勢を大きく4つに分けてみたのだが、勉強ができない子は往々にして3,、4である。
たまに要領のいい子は夏休みの最後にガバっと仕上げてしまうのだがそれはあくまでも例外。

何事もそうであるが、計画をしっかり立てるというのはその物事自身の形をしっかり想像するということである。
人は想像以上のことはできない。

想像こそ創造であり、想像以上の物が出来上がることを人は奇跡と呼ぶ。
また、想像できることもそれが100%実現することは少ない。

そして多くの場合、想像と現実には大きな乖離があり、その差を埋めていくことこそ人生の課題であり、プロと素人の差である。

そういった意味でも私はプランニングこそ子どもの頃から教えなくてはいけない課題の1つではないかと思う。
しかし、学校ではそこまで厳しく教えないし、家庭もルーズな家庭はルーズである。


しかし、もし大人になった場合、自分のすることに逐一口を出してくる人はいない。
何か物事が完成しなくても待ってくれることもなければ、後で提出して評価されることもない。


だが、プランニングができない大人は少なくない。
キチンと物事を吟味せずに出発し、土壇場になって仕上げる人を私は何人も知っている。
というかそれで仕上がればいいのだが、大抵の場合それでできたものは完成したとは言いがたい残念なものだ。


「テスト勉強を直前徹夜の叩きこみ勉強をするということは意味が無い、そんなの勉強ではない。」と口を大きくして言っている大人ですら期限ギリギリに物事に取り掛かっているのだから笑えない話しである。



そんな私も嫌なことは後回しにする癖がある(その話もいずれ出来ればいいと思う)。
そういうときは、もう一人の自分を想像してだらけている自分を急かすのだ。

自分のケツをさっさとしろと蹴りながら何とか丁寧に生きて行きたいものである。


ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

0 件のコメント:

コメントを投稿