2013/09/06

恩と見返り

みなさんは恩の押し売りをしていないだろうか?
この世には少なからず、恩を与えればそれを返すのが当然だと考える人がいるようである。

つまり、何か他人からしてもらったらちゃんとそれに応えないといけないという考えである。

もちろん私も恩返しの意識自体は悪いものだと思っていない。
そもそも「恩」というのは他の人から与えられた「恵み」、「いつくしみ」のことらしい。

そしてその語源をたどればそれは必ずしも他の人からだけでなく、天地あるいは全世界から授かる恵みを指すらしい。
なんともまぁ、日本語らしい語源ではないか。

万物ありとあらゆるものからの恵みを恩とし、それを自覚しそれを報いることを是とする。
私はそういった日本的な感性がとても好きである。

これが海外とかでは恐らく、神に感謝するのであろう。


そしてそんな恩の考えであるが、私はこれはあくまで受動態であると考える。
つまり、恩とは与えるものでなく与えられるものだと。

恩の実態とは行為を受けた人が感じることで初めて生まれるものだと。
そうでなくてはおかしいと。


そもそも、自然ないし万物がこちらを慈しんで何か与えてくれることなどないだろう。
世界が私のために何かしてくれたと思うのは自由だが、それはなんとも自分勝手な考えではないか。

いや、それでいい。
それこそ人間的な考えであり、「恩」というのも自分勝手に感じるものであってこそ。
そう私は思うのである。


その恩を周りに振りまいて歩いている人間がいるのである。
これだけ私は尽くしてやったから相手は恩を感じて当然である、と。
なんでここまでやってるのに相手は恩を返してくれないのだ、と。


これは少なくとも恩の考え方ではないと私は思う。
己の信念として、恩を受けたら必ず報いるということを持つことは大変健全である。

しかし、誰かに恩を与えたら、必ずそれを返すべきであるなどという考えはどうみても不純ではないか?


日本では昔から沢山の教訓話がある。
その中でも、善人、いわゆる善い行いをする人には必ずいいことがあるという話は多い。

例えば「鶴の恩返し」。

この話も鶴を助けた翁の家に、鶴が人間に化けて訪ねてきて機織りをして恩を返すという話しである。


また、その逆、悪とされる行いをする人には必ずバチが当たる。
そしてそんなしっぺ返しの話の中には、見返りを求めて行動しそして失敗するといった話も多い。


今回の恩を押し歩く人も後者の、よく出てくる意地悪じいさんと同じではないかと思うのだ。
そしてそういった人たちは必ず、
「私は君のためを思って言ってるんだ」とか
「君は◯◯されたなら必ずそれを返すべきだ」とか自分の行動をいかに他人のために尽くしているかを説いてくる。


これほど軽い言葉はないだろう。
恩と言うのは言葉で伝えるものではない。

行為で伝えるものだ。
いや違う。

行為によって伝わるものだ。


相手に何かしてやったと思う時点でそれはいつくしみの精神からひどく反する。
ましてやそれを言葉で言うと言うなんて、なんとも醜い行為だ。


大切なものは言葉では伝わらない。
もし、相手がこちらの真の意図を汲んでくれなかったら、それは相手がその程度だと思えばいい。
そこで薄っぺらい言葉を並べ、自分を相手と同じレベルまで下げる必要など無い。


見返りを求めて鶴を助ける人間には、決して鶴は恩を返してこないだろう。


みなさんもどうか、「おむすびころりん」の意地悪爺さんのようにならず、心優しい翁のように生きてほしいと思う。


ゆう
ゆう

旅行とカメラが趣味のゆうが撮影した写真をただただ紹介するだけのブログです。頑張って更新していきます。

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