これは最近読んだ漫画にあったセリフのことである。
それはほんとによくある問い。
恐らく殆どの人なら子どもの頃に感じていたのではないだろうか?
「なんのために勉強するのか?」
大概の子どもは自分がなんで学校に行きなぜ勉強しているか分からない。
みなさんも一度くらい思ったことはないだろうか?
そしてその問いに今は応えることができるだろうか?
過去に自分、例えば小学校でも中学校でもいい。
その頃の自分になぜ自分は勉強するのか、きちんと向き合って答えを伝えることができるだろうか?
もちろん、そんなのなんのためにもならないよ。
無駄なことばっかりさ!
と応える人もいるかもしれない。
しかし、それは例え真実であったとしても今の自分の正解であって、その頃の自分にかける言葉としては相応しくないと私は思う。
なぜか?
それは子どもにとって
「この世の中には君の知らないいことがいっぱいある。
けど今の君にはわからいよ。
君がどんなに天才でどんなに知識があっても絶対にわからない。
この場合の「知る」とは「行動を積み重ねる」ということだから」
つまるところ、我々は今を生きている子どもたちに「なぜ勉強するのか?」という問いにキチンと正解を出してやることはできないのだ。
このセリフを読んだ時、確かにその通りだと思った。
何を言ってもそれは当人にとって知ったことにならないから。
実際に自分の人生を積み重ねていき、そこで初めて価値のあるものか無いものか見極められる。
勉強も同じだ。
今何のために勉強するのか。
そんなの誰だって答えられない。
その答えを見つけるのは自分でしか無い。
そして私はこれまで生きてきて一つ分かったことがある。
何か無駄だとか意味が無いとか、そういうことを言う人はその物事に対してキチンと理解してない人が多い。
ちゃんと本気でその物事に取り組み、意味がわかっている人は決してそういうことを言わない気がするのである。
だからとりあえず、私は無駄だと言われても自分でそれをやってみたいと思う。
そうして自分の中で「やった」を積み上げていきたいと思う。
そしてもう一つ。
心に染みるセリフがある。
「これはいつもオレ自身に言い聞かせてることなんだが
何かをやろうとした時…
「やらなければできない」が大事なんだ
でも人は知恵がつくと
「できるからやる」となるらしい
ああ・・・
それは結局「できないコトはやらない」だ」
私は子どもに学習を教える機会があるが、このことだけは本当に伝えたいと思う。
物事というものは、自分ができることばかりではない。
どれだけ頑張ってもできないことだってあるだろう。
それは確かだし、人間何年も生きていけば分かることだ。
でも、そうしたできないを繰り返したとしても、「やらなければできない」ことは真実である。
よく学習塾が「やればできる!」をうたっているがそれはどうなのかと私は思う。
どれだけ頑張っても人には向き不向きがあるだろう。
それをできないことを「やってない。」せいだけにするのはあまりに当人にとって酷ではないかと。
本人がやっていることを全否定するのかと。
だから私は思う。
世の中には「やればできる」ということばかりではない。
自分の力でどうにでもならないことなんてたくさんあるだろう。
でも、「やらなければ何もできない」。
「やる」ことを放棄していったい何が残るというのか。
「できなかった」のならそれでもいいさ。
なら「やったけどできなかった」と胸を張って言ってやれ、と。
「やってできなかった」ことは無価値なんかじゃないと。
そうして「できない」を積み重ねることも自分を知るには大切だと思う。
「やろうとしなかった」を積み重ねた人間より「やったけどできなかった」ことを積み重ねた人間の方がずっと深い人間になれる気がするから。
そして最後に
「聞こうとしない
見ようとしない
やろうとしない奴
そりゃわかりっこないって
わからない奴にわかってもらおうと時間を費やすほど
人生は長くない」
誰かに分かってもらおうと何かを必死に伝えることは私もよくしてたと思う。
でも、その相手は誰それ構わずといったことをしていては、ただの人生の浪費でしかないというわけだ。
本気で分かろうとする人にはこちらも本気になるべきだが、そうでない人に付き合っているほど人生は長くないのである。
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