朝食を食べホテルをチェックアウトした後に向かった先はホテルから目と鼻の先にあるこの徳山港。
ここから大津島行きの船に乗り大津島へ渡ります。
大津島とはどういう島なのか。
フェリー乗り場の中に入ると”回天”という言葉があちらことらで見られます。
また”海軍”というフレーズがある通り、この島は第二次世界大戦の頃の旧日本海軍にとても密接に関わるのある島です。
そして待合室には大きなパネルが。
”特攻の島 ~人間魚雷 回天~”。
そう、回天とは第二次世界大戦末期資源も乏しく米軍の物量に押されるようになってきた日本軍が開発した特攻兵器。
”人間魚雷”とは文字通り、魚雷の中に人が入って操縦し特攻する兵器のことです。
神風特攻は有名な話ですが、その影で他の特攻兵器で散っていった多くの若い兵士がいたのです。
そうこうしてる間に船が来ました。
船内はバスのように三列のシートがあります。
個人的には舟に乗ると甲板に出て航海を楽しむのがセオリー。
そいうわけで2階に上がり甲板に出て約18分の航海を楽しみました。
というわけで大津島に到着。
みんなが降りたのを確認したら船はさっさと出港して行きました。
何と言うか海上バスみたいな感じですね。
港では高校生でしょうか?
みんなで海底に沈んだ廃材を回収してました。
てか、なんでそんなに自転車が港に沈んでるんだ?
卒業前にはここでチキンレースでもするのが恒例なのでしょうか?
慰霊碑を横目に回天記念館に向かいます。
地図で見ると港から結構歩く感じ。
ぐるっと港を回りこんで学校の裏手の坂を登り切ったとこに記念館はあります。
途中、島の裏手の海岸に行く道があり、そこからトンネルを超えた先の海岸が回天の前線基地でした。
そしてひたすら歩いて回天記念館に到着。
港にフェリーが着いてから帰りの船が出るまで1時間半しか時間がないので結構余裕が無い感じ。
早足で記念館に向かいます。
記念館の前には回天が飾ってあります。
元々大型魚雷を改良し、中に人が乗って操縦できるようにしたものが回天です。
ハッチは中からは開けることはできず、特攻が成功しようと失敗しようと搭乗するということは乗員の死を意味しました。
1944年に試作機ができた回天ですが、この回天を発案したのは当時特殊潜航艇甲標的の搭乗者でもある日本海軍士官の二人。
そして二人して20歳前後という若さなのがこの戦争の歪さを物語っているのではないでしょうか。
生き残るための兵器でなく死ぬための兵器。
まだ未来のある若者が何を思ってこの兵器を発案したのか。
今の時代を生きる私には想像もできません。
記念館自体はそこまで大きなものではありません。
ですが、この島に作られた回天の基地について学ぶことができます。
この島で多くの若者が回天の操縦訓練をし、そして島を去って行きました。
回天の発案者であり、一人は訓練中の事故でそしてもう一人は特攻し戦死した黒木博司大尉と仁科関夫中尉を含め、戦争で犠牲になった多くの戦死者の方々のご冥福をお祈り致します。
そして最後は回天の基地に向かいます。
このトンネルにはかつてトロッコを通し、物資などを運んでいたそうです。
結構立派なトンネルですね。
今ではフナムシの巣となっております。
そしてこの建物が元回天基地であります。
今ではただのコンクリートの塊です。
今では釣り人の絶好の釣りスポットになっているのか海面を見ると大小様々な魚が泳いでいました。
というわけで大津島ツアーはこれにて終了。
あとはフェリー乗り場に向かい帰りの船を待ちました。
今日は曇り空ですがかなりムシムシしており、フェリー乗り場で買ったいろはすが結構美味しかったです。
てか、いろはすの炭酸水って結構いいですね!
さて、今度はある意味この旅一番の楽しみでもある秋吉台に向かいます。
ではでは。
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